吉田増次郎とは? わかりやすく解説

吉田増次郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/07 16:53 UTC 版)

吉田増次郎

吉田 増次郎(よしだ ますじろう、旧字体吉田增次󠄁郞1867年7月29日慶応3年6月28日) - 1942年昭和17年)3月14日)は、日本海軍軍人。最終階級は海軍中将

経歴

静岡県出身。吉田弁蔵の三男として生れる。静岡中学校を経て[1]1890年7月、海軍兵学校17期)を卒業し、1892年5月、海軍少尉任官。日清戦争では「大和分隊士として出征した。「吉野」分隊長、第1水雷艇隊艇長、軍令部諜報課員、同第3局員、同第2局員、砲艦鎮辺艦長などを経て、1902年1月、清国公使館付となる。日露戦争中は、韓国公使館付兼清国公使館付であった。

1906年2月、「周防」副長に就任、「松島」「吾妻」の各副長、第1艦隊副官、軍令部参謀、支那公使館付武官、「香取」艦長などを歴任し、1916年12月、海軍少将に進級。第一次世界大戦臨時南洋群島防備隊司令官として出征した。

1917年12月、軍令部出仕となり、以後、兼軍令部参謀(支那出張)、軍令部第3班長、第1遣外艦隊司令官などを経て、1920年12月、海軍中将となった。将官会議議員を勤め、1922年10月、待命となり、翌年3月、予備役に編入された。

海軍兵学校(17期)同期に秋山真之

栄典

位階
勲章等
外国勲章佩用允許

親族

脚注

  1. ^ 『静中・静高同窓会会員名簿』平成15年度(125周年)版 43頁。
  2. ^ 『官報』第2708号「叙任及辞令」1892年7月8日。
  3. ^ 『官報』第3918号「叙任及辞令」1896年7月21日。
  4. ^ 『官報』第4402号「叙任及辞令」1898年3月9日。
  5. ^ 『官報』第7028号「叙任及辞令」1906年12月1日。
  6. ^ 『官報』第8321号「叙任及辞令」1911年3月21日。
  7. ^ 『官報』第1105号「叙任及辞令」1916年4月11日。
  8. ^ 『官報』第3223号「叙任及辞令」1923年5月1日。
  9. ^ 『官報』第3727号「叙任及辞令」1895年11月29日。p811
  10. ^ 『官報』第5226号「叙任及辞令」1900年12月1日。
  11. ^ 『官報』第5522号「叙任及辞令」1901年11月28日。
  12. ^ 『官報』第5820号・付録「辞令」1902年11月26日。
  13. ^ 『官報』第6573号「叙任及辞令」1905年5月31日。
  14. ^ 『官報』第1189号・付録「叙任及辞令」1916年7月18日。
  15. ^ 『官報』第1850号「叙任及辞令」1918年10月2日。
  16. ^ 『官報』第2927号「叙任及辞令」1922年5月8日。
  17. ^ 『官報』第2858号・付録、「辞令」1922年02月14日。
  18. ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。
  19. ^ 『官報』第5811号「叙任及辞令」1902年11月15日。

参考文献

  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 海軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
  • 福川秀樹『日本海軍将官辞典』芙蓉書房出版、2000年。




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