右近衛大将就任
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天正3年(1575年)11月4日、信長は権大納言に任じられる。さらに11月7日には右近衛大将を兼任する。この権大納言・右大将就任は、源頼朝が同じ役職に任じられた先例にならったものであるとも考えられるという。官位就任とともに、信長は公家や寺社に対する知行地の宛行を行い、天皇や朝廷の権威を利用しつつ、その存立基盤を維持することに努めた。以後、信長はしばしば「上様」と称されるようになる。 これで朝廷より「天下人」であることを、事実上公認されたものとされる。また、この任官によって、信長は足利義昭の追放後もその子・義尋を擁する形で室町幕府体制(=公武統一政権)を維持しようとした政治路線を放棄して、この体制を否定する方向(=「倒幕」)へと転換したとする見方もある。また、義昭の実父である足利義晴が息子の義輝に将軍職を譲った際に権大納言と右近衛大将を兼ねて「大御所」として後見した(現任の将軍であった義輝には実権はなかった)先例があり、信長が「大御所」義晴の先例に倣おうとしたとする解釈もある。ただし、伝統的な室町将軍の呼称であった「室町殿」「公方様」「御所様」「武家」を信長に対して用いた例は無く、朝廷では信長を従来の足利将軍とは別個の権力とみなしていた。
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