右近権左衛門家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/05/03 01:51 UTC 版)
「北前船主の館・右近家」の記事における「右近権左衛門家」の解説
右近権左衛門家は、江戸時代初期の1680年(延宝8年)に河野浦の金相寺3代目住職漸祐が、4代目となる専祐の弟を寺の養女と縁組させ、田畑山林とともに船1隻を与えて分家させたことに始まる。代々の右近家の船は、他の河野浦の者と同様に、近江商人の荷所船として松前蝦夷地と敦賀等を結ぶ日本海を往復していたと思われる。しかし18世紀半ば過ぎから近江商人の荷所船として活動するかたわら、自ら商品を仕入れ販売する買積み商いも行うようになっていった。 右近家は9代目右近権左衛門(1816年(文化13年)生まれ)によって大きく飛躍する。9代目は従来から右近家が所有していた廻船に加え、同郷で姻戚関係にある中村三郎右衛門家や商取引のあった大坂の問屋商人と廻船を共同経営する積極経営を展開し、次々と廻船を増やしていった。先代の8代目権左衛門の亡くなった1853年(嘉永6年)時点で右近家所有廻船は3隻、利益が約1,600両だったのに対して、10年後の1863年(文久3年)には廻船数11隻、利益は12,000両余に達している。
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