史実との異同とは? わかりやすく解説

史実との異同

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/05 10:05 UTC 版)

稲むらの火」の記事における「史実との異同」の解説

詳細は「濱口梧陵」を参照稲むらの火」は濱口儀兵衛(梧陵)の史実基づいてはいるものの、実際とは異な部分がある。これは小泉八雲誤解にもとづくものであり、翻訳・再話おこなった地元出身中井もあえて踏襲した史実物語違い国定教科書採用時に認識されていたが、五兵衛犠牲的精神という主題と、八雲中井による文章表現美しさから、安政南海地震津波記録として正確性よりも教材としての感銘優先された。 物語では地震動について「今の地震別に烈しいといふ程のものではなかった」と書かれているが、濱口梧陵地震様子手記の中で「其激烈な事前日の比に非ず。瓦飛び、壁崩れ、塀倒れ、塵烟空をふ」と記しており、宇佐美龍夫広村震度5-6程度推定している。地震揺れ方や、津波襲来前に潮が大きく引いたという描写は、出版直前起った明治三陸津波から小泉八雲がその示唆得た可能性考えられている。 農村高台に住む年老いた村長とされている五兵衛に対して史実儀兵衛はまだ35歳指導的な商人で、その家は町中にあったまた、津波発生日が12月24日新暦換算〉で真冬であり、儀兵衛燃やしたのは稲穂のついた稲の束ではなく脱穀終えたの山(これも「稲むら」と呼ぶことがある)である。また、儀兵衛火を付けたのは津波予知してではなく津波来襲してからであり、暗闇の中で村人安全な避難路を示すためだった。 「稲むらの火」には描かれていないが、儀兵衛偉業災害に際して迅速な避難貢献したとばかりではなく被災後将来再び同様の災害が起こることを慮り私財投じて防潮堤築造した点にもある。これにより広川町中心部では、昭和東南海地震南海地震による津波に際して被害免れた

※この「史実との異同」の解説は、「稲むらの火」の解説の一部です。
「史実との異同」を含む「稲むらの火」の記事については、「稲むらの火」の概要を参照ください。

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