史実との相違および顕彰活動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/10 03:10 UTC 版)
「サダコと千羽鶴」の記事における「史実との相違および顕彰活動」の解説
禎子が「千羽鶴を完成させる前に亡くなり、彼女の2人の友人が続け、完成した千羽鶴を彼女の棺桶に入れた」という本書の主張は、禎子の遺族によって裏付けられていない。彼女の家族、特に長兄の佐々木雅弘が禎子の生涯を話した講演によると、禎子の折り鶴は644羽を超えただけでなく、目標の千羽を超え、約1400羽の鶴を折って亡くなった、としている。佐々木雅弘とSue DiCicco(ピース・クレイン・プロフェクト(英語版)の創始者)による共著『The Complete Story of Sadako Sasaki』に記されている。佐々木とその家族は、世界中の重要な場所に禎子の折り鶴を寄贈してきた。ニューヨークの9-11記念館、ハワイの真珠湾、2015年11月19日にはハリー・S・トルーマン図書館・博物館(英語版)、2016年5月26日にはミュージアム・オブ・トレランス(英語版)、その3日後には全米日系人博物館に贈っている。アリゾナ記念館とトルーマン博物館への寄贈は、トルーマン大統領の孫であるクリフトン・トルーマン・ダニエルの後援によるものだった。 禎子の死後、友人や同級生は、彼女と、原爆の影響で死亡したすべての子供たちの記念碑を建てる資金を集めるために、一連の手紙を出版した。1958年、禎子が金の折り鶴を支える像(原爆の子の像)が広島平和記念碑(原爆ドーム)で発表され、広島平和記念公園に設置された。 原爆の子の像の麓には、「これはぼくらの叫びです これは私たちの祈りです 世界に平和をきずくための」と書かれた石碑がある。祖先の霊を供養するための日本の休日であるお盆の日には毎年、何千人もの人々が像の近くに千羽鶴を奉げる。寄贈者が平和のメッセージを残し、鶴を寄贈した人々の記録を残すために、折り鶴データベースがオンラインで確立された。
※この「史実との相違および顕彰活動」の解説は、「サダコと千羽鶴」の解説の一部です。
「史実との相違および顕彰活動」を含む「サダコと千羽鶴」の記事については、「サダコと千羽鶴」の概要を参照ください。
- 史実との相違および顕彰活動のページへのリンク