古人の研究と作風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/06 14:14 UTC 版)
董其昌は23歳のときにはじめて山水画を試みたと述べている。先輩の顧正誼の家で元末四大家の作に触れたことに感動したからだという。その後、莫是龍や陳継儒にも教えられて次第に画を研鑽し始め、やがて趙左・顧元慶・范允望なども加わり絵画のグループが形成された。この一派は蘇州の沈周や文徴明の末流である呉派に対して松江派と呼ばれ明末の停滞気味な絵画芸術を革新していく。彼らは古画の鑑賞と臨模を通して主に元末四大家を中心とした古人の研究を重視した。しかし董其昌はさらにその淵源を探ることを望み官僚としての立場を巧妙に利用して、大収蔵家の項元汴の家を度々訪ねては宋・五代十国・唐の古画名品を鑑賞しその研究を貪欲に進めている。特に唐の王維・五代の董源・そして元末四大家、中でもとりわけ黄公望の真筆に臨み大いに刺激を受けている。研究の熱心さは書画の蒐集熱となり、黄公望の最高傑作「富春山居図」を入手したときの喜びようは度を超えていた。この他にも相当の名品を数多く入手している。 董其昌は山水画を得意としたが、その技法は古人から学んでいる。郭忠恕の「輞川図巻」の臨模を通じて気勢の表現を取り入れた。この気勢とは風水のいうところの大地のエネルギーの表象であり、董其昌はうねるような山水にこのエネルギーを表現している。また構図を大きく分割配置する三・四大分法を取り入れ簡潔でダイナミックな構図を特徴とした。極端にデフォルメされ一見奇怪な景勝に見える。徹底して古人に学びながら形式主義に陥らずその作品は革新的であった。
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