原口兼済
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原口 兼済(はらぐち けんさい、1847年4月2日(弘化4年2月17日[1][2][3])- 1919年(大正8年)6月18日[1][2][3][4])は、明治から大正初期の陸軍軍人、政治家、華族。最終階級は陸軍中将。貴族院議員、男爵。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 『日本陸海軍総合事典 第2版』130頁。
- ^ a b c d e f g 『平成新修旧華族家系大成 下巻』382頁。
- ^ a b c d e f 『日本陸軍将官辞典』598頁。
- ^ a b c d 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』82頁。
- ^ a b c d e f g 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』27頁。
- ^ 『官報』第7315号、明治40年11月14日。
- ^ 『官報』第7754号、明治42年5月4日。
- ^ 『官報』第503号、大正3年4月6日。
- ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、18頁。
- ^ 『官報』第1936号「叙任及辞令」1889年12月10日。
- ^ 『官報』第2828号「叙任及辞令」1892年11月30日。
- ^ 『官報』第4910号「叙任及辞令」1899年11月11日。
- ^ 『官報』第6582号「叙任及辞令」1905年6月10日。
- ^ 『官報』第6727号「叙任及辞令」1905年12月1日。
- ^ 『官報』号外「叙任及辞令」1906年12月30日。
- ^ 『官報』第7272号「授爵敍任及辞令」1907年9月23日。
- ^ 『官報』第7337号「叙任及辞令」1907年12月11日。
- ^ 『官報』第1310号・付録「辞令」1916年12月13日。
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