南西太平洋での戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/12 00:03 UTC 版)
「アストリア (重巡洋艦)」の記事における「南西太平洋での戦い」の解説
2月16日(日本時間2月17日)、アストリアは空母ヨークタウン (USS Yorktown, CV-5) を基幹とする第17任務部隊(英語版)(フランク・J・フレッチャー少将)に参加し、初めはカントン島方面に向かった。ところがニューブリテン島ラバウル攻撃に向かったブラウン中将の第11任務部隊が、ラバウルから飛来した日本海軍の一式陸上攻撃機と交戦する。被害はなかったものの奇襲の効果が失われ、燃料が乏しくなって空襲が中止された(ニューギニア沖海戦)。ブラウン中将の増援要請を受け入れたニミッツ提督は、第17任務部隊を第11任務部隊の応援にまわした。両任務部隊は3月6日にニューヘブリディーズ諸島近海で合流した。 「ニューギニアの戦い」および「ラエ・サラモアへの空襲」も参照 空母2隻(レキシントン、ヨークタウン)を基幹とする任務部隊は、ラバウル攻撃を企図していた。珊瑚海を西進中の3月8日、ポートモレスビー攻略の前段階として日本軍がニューギニア島のラエとサラモアに上陸した。空母機動部隊は、攻撃目標をラエとサラモアに切り替えた。奇襲作戦中、重巡アストリア、ルイビル、シカゴ、オーストラリア (HMAS Australia, D84) および駆逐艦アンダーソン、ハムマン、ヒューズ (USS Hughes, DD-410) とともに豪州海軍のジョン・G・クレース(英語版)少将(旗艦「オーストラリア」)の指揮下に入り、ルイジアード諸島ロッセル島近海で空母部隊の間接護衛にあたる一方で、ヌメアからポートモレスビーに向かう陸軍部隊を援護した。 3月10日、空母2隻(レキシントン、ヨークタウン)は攻撃隊を発進させ、またアメリカ陸軍のB-17も出撃した。104機の艦載機による南からのオーエンスタンレー山脈を越えた攻撃は奇襲となったが、期待されたほどの戦果ではなかった。それでも第六水雷戦隊(旗艦夕張)が護衛する日本軍諸艦船に大きな損害を与えた。この攻撃により日本軍のポートモレスビー攻略作戦に狂いが生じた。作戦を担当する南洋部隊(第四艦隊司令長官井上成美中将)は、連合艦隊に大型空母加賀の派遣を要望する。交渉と調整の結果、ポートモレスビー攻略作戦MO作戦に軽空母祥鳳と第五航空戦隊(司令官原忠一少将:瑞鶴、翔鶴)が参加することになった。
※この「南西太平洋での戦い」の解説は、「アストリア (重巡洋艦)」の解説の一部です。
「南西太平洋での戦い」を含む「アストリア (重巡洋艦)」の記事については、「アストリア (重巡洋艦)」の概要を参照ください。
- 南西太平洋での戦いのページへのリンク