南西太平洋での海上護衛戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/01 14:12 UTC 版)
「卯月 (睦月型駆逐艦)」の記事における「南西太平洋での海上護衛戦」の解説
8月20日に第三十一戦隊が編制され、皐月と夕凪が加わった第30駆逐隊も編入、各艦は瀬戸内海で戦隊訓練や対潜訓練を実施した。しかし25日に夕凪が米潜水艦ピクーダに撃沈された。 卯月はシンガポールに向かうヒ75船団の護衛となり、9月8日に空母神鷹、夕月、海防艦3隻(三宅、満珠、干珠)、水上機母艦秋津洲、西貢丸、浅間丸、雄鳳丸、良栄丸、日栄丸、万栄丸、あまと丸、東邦丸、せりあ丸と門司を出撃した。12日に基隆市に向かう浅間丸が分離、13日に高雄市に到着した。14日に海防艦18号、水雷艇鵯、第28号掃海艇とタンカー3隻(富士山丸、黒潮丸、大邦丸)を加えて出港。夕月と卯月、秋津洲、西貢丸は17日に船団から分離しマニラへ向かった。夕刻、駆逐艦秋風が合流した。 18日午前、米潜水艦フラッシャーの雷撃で西貢丸が沈没。卯月、夕月、秋風は生存者の捜索と爆雷攻撃を行い、秋津洲は単艦でマニラに先行した。19日、3隻もマニラに到着した。卯月、夕月、秋風は21日にマタ27船団を護衛してマニラを離れ高雄に向かったが、合流予定だった皐月は同日午後にマニラ湾で空襲を受け沈没した。同日夕、機関故障した安土山丸を分離。22日、米潜水艦レイポンの雷撃で順源丸が沈没した。残る船団は高雄に立ち寄り、第30駆逐隊3隻は30日に佐世保へ帰投した。 卯月と夕月は10月17日に佐世保を出発、練習巡洋艦鹿島による鹿児島~高雄間の輸送を護衛し、26日に佐世保に戻った。次に空母隼鷹によるブルネイへの輸送を護衛し、30日に軽巡木曾、夕月と共に佐世保を出港、31日に秋風が合流した。11月3日、米潜水艦ピンタドが隼鷹に雷撃、秋風に命中して沈没した。6日にブルネイに到着、8日に重巡利根を加えて出港。マニラで木曾が残って駆逐艦時雨が加わり、呉に向かった。途中で米潜水艦が雷撃したが命中せず、卯月と夕月は17日に呉に戻った。 呉で修理後、卯月と夕月はヒ83船団の護衛に従事した。船団には貨物船5隻、タンカー3隻と他2隻、護衛の空母海鷹、駆逐艦檜・樅・榧、海防艦6隻(1号、3号、25号、35号、64号、207号)が参加し、山口県六連島を26日に出発した。卯月と夕月は航行不能になった駆逐艦春風の救援を手伝った後、12月6日にマニラに到着した。
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