南方へ出征とは? わかりやすく解説

南方へ出征

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/21 03:58 UTC 版)

加藤道夫」の記事における「南方へ出征」の解説

1944年昭和19年)の春、加藤道夫処女戯曲なよたけ」(5幕9場)を脱稿この頃川口一郎知り合ったこの年陸軍省通訳官として南方へ出征。マニラハルマヘラ島経て東部ニューギニア赴任したソロンという部落終戦まで過ごすが、その地でマラリア栄養失調により死線さまよった加藤は、陰鬱なジャングル野戦病院の掘立小屋片隅で、烈しい熱病憔悴し身を横たえていた。 死の誘いは既に間近にあった。死ぬなどと云うことは至極簡単なことの様に思われた。唯、ちょっと気をゆるめればいい。精神生へ意志放棄しえすればそれだけ何の苦もなく死ねる、と云うことだけは僕は確信していた。事実、死ぬということ造作のないことはなかった。毎日何十人という人間達が、まるで自らすすんでそうするかのように、ころッころッと死んで行った重病人達は寧ろそうなることを望んでいるのだ。……ああ、それに、あの三ヶ月も四ヶ月絶え間なく降りつづく。……身も心も腐りきってしまう様なあのニューギニア雨期。……唯肉体だけを生きる云うことは耐えられぬ倦怠以外の何物でもなかった。絶望と死の影があたりを蔽いつくしていた。僕は目前に死と向い合っていた。死に対す恐怖殆んどなかった。此処では人々人間社会因習から遥かに遠く隔たっていた。肉親から、家庭から、あらゆる社会羈絆から。 — 加藤道夫死について1945年昭和20年8月終戦と共に終戦事務戦犯通訳仕事従事した加藤は、その間徐々に体力回復していった。

※この「南方へ出征」の解説は、「加藤道夫」の解説の一部です。
「南方へ出征」を含む「加藤道夫」の記事については、「加藤道夫」の概要を参照ください。

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