絶望と死とは? わかりやすく解説

絶望と死

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/02 16:03 UTC 版)

ダーラー・シコー」の記事における「絶望と死」の解説

ダーラー・シコーシピフル・シコー卑劣な裏切りにより捕えられ、ミール・バーバーのいる包囲軍のもとへ連れて行かれた。籠城軍ダーラー・シコー降伏するよう命ぜられ、彼らはラホール経由してデリーへと連行された。 ダーラー・シコーらがデリー近郊に来たとき、アウラングゼーブは彼らをデリー市の中央を通らすべきか議論した王家の名誉を著しく傷つけるという意見もあったが、アウラングゼーブとその賛成者は彼らが偽物だと疑っている人たちへの本人であることの証明、そしてダーラー・シコー支持者希望を完全に断つため、町を通らせることは絶対に必要だ主張した9月11日ダーラー・シコーシピフル・シコーはみすぼらしい象の上乗せられて、デリー市中引き回されていた。彼らの後ろには剣を持ったバハードゥル・ハーンという名の兵士乗っていたが、それは彼らが抵抗したり、あるいは救出動き見えたら、すぐさま彼らを殺害するためであった。 しかし、ダーラー・シコーシピフル・シコー絶望打ちひしがれて、抵抗する余力もなかった。まだ暑い9月旧暦では8月)の真昼太陽の下、彼ら2人デリー城の前で2時間待たされた。 一方アウラングゼーブダーラー・シコーの脇にいたジーワン・ハーンが呪いの言葉浴びせられ投石殺されそうになったこと、デリー人々暴動起こすかもしれないこと聞いたのち、その日ダーラー・シコーシピフル・シコー処遇に関して宮廷議論していた。 宮廷人々先述したイスラーム復興運動イスラーム色染まっており、ダーラー・シコー宗教融和的態度イスラーム背教したとして、シャーイスタ・ハーンやハリールッラー・ハーンなどほとんどがダーラー・シコー死刑賛成したわずかにダーネシュマンド・ハーンなどがダーラー・シコー死刑反対し、またシピフル・シコーとともにグワーリヤル城に送るべきだといった人々もいた。 だが、アーグラ幽閉中のダーラー・シコーの父シャー・ジャハーンや姉のジャハーナーラー・ベーグムはそこにおらず、反対派助力にはならなかった。そのうえ、妹のラウシャナーラー・ベーグム強固に死刑賛成しグワーリヤル城に送る危険を冒してまで救う必要はないといった。 結局アウラングゼーブ賛成派多くの人に勧められたため、ダーラー・シコー処刑決定しシピフル・シコーグワーリヤル城送られるよう命令した9月12日ダーラー・シコー毒殺恐れシピフル・シコー平豆レンズマメ)を煮てやっていたとき、そこに処刑人がやってきた。処刑人一人シピフル・シコー取り押さえたのち、他の処刑人ダーラー・シコー首を刎ねた。

※この「絶望と死」の解説は、「ダーラー・シコー」の解説の一部です。
「絶望と死」を含む「ダーラー・シコー」の記事については、「ダーラー・シコー」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「絶望と死」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「絶望と死」の関連用語

絶望と死のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



絶望と死のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのダーラー・シコー (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS