協定世界時の導入
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/04 14:42 UTC 版)
1950年代にセシウム原子時計が実用化が進み、各国の標準電波もこれを基準として電波を発射するようになる、一方、人工衛星の国際観測も盛んとなり、これらの全世界データを整約するために、国際的に統一した方法で UT2 の時刻を利用できることが強く望まれるようになる。1959年にアメリカとイギリスが、標準電波の周波数を原子周波数標準に合わせることや報時信号を同期することを打ち合わせ、その後各国を勧誘した。1960年の国際電波科学連合 (URSI) 第13回総会や1961年にバークレーで開催された国際天文学連合 (IAU) 第11回総会では、報時信号の国際同期に関する問題が討議され、具体化された(日本は1961年9月から実施)。 そして、1964年にハンブルクで開催された国際天文学連合 (IAU) 第12回総会の決議で、報時は UT2 に近似するように1年間一定の周波数オフセットと 0.1 秒のステップ調整をおこなうこととし、オフセットおよび秒信号の修正の量と時期は国際報時局(BIH、現IERS)が決定して、報時信号を国際的に同期する協定世界時 (UTC) 方式が勧告された。 なおこの方式は現行の方式とは異なるので、区別するために旧協定世界時と呼ばれる。
※この「協定世界時の導入」の解説は、「世界時」の解説の一部です。
「協定世界時の導入」を含む「世界時」の記事については、「世界時」の概要を参照ください。
- 協定世界時の導入のページへのリンク