十和本社時代とは? わかりやすく解説

十和本社時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/15 15:53 UTC 版)

フジグラン広島」の記事における「十和本社時代」の解説

山陽高等学校移転同時期に十和は、当時京橋にあった社屋手狭になっていた。同地は、一旦同業他社売却されることになっていたが、金融事情などより破棄され1968年昭和43年6月十和への土地建物譲渡決まった同地には『十和総合商品センター』が建設されることになった1968年昭和43年12月9日地鎮祭。翌1969年昭和44年4月19日竣工式。そして同年5月6日開店した十和本社建築に関しては、完成から10年前後の校舎初め学校施設多く流用。また校庭部分新築建物建築し、また店舗隣接するように校舎一部移築するなど、既存建物新設する建物一体化させた。第1期工事で、『十和総合商品センター』は、各地分散していた事務所を1か所にまとめ、元校舎部分(3,960m2)に事務所倉庫検収食堂施設を、南側新築2階建ての建物(5,450m2)には店舗配した。そして同建物本社移転京橋の旧本社倉庫になった。 元々、十和卸売りメインとする会社であったが、ラポール同様に一般顧客向けの小売り行っていた。 宝町社屋顧客増加早々に手狭になり、1971年昭和46年7月4階建・一部五階建に増築3階店舗に。4階はストックルームと商品処理場5階電算になった1974年昭和49年1月増築工事5階拡張サンプル展示場事務所教育室を整備その時点で、店舗延面積12,600m2になったまた、1978年昭和53年7月から9月スプリンクラー整備行ったその後十和総合企画室とフジ社長室検討結果、同敷地有効活用するためには卸売業より小売業の方がより効果的であると判断1978年昭和53年10月十和本社西区商工センター移転決定1979年昭和54年)に、中国地方では初になる高陽ニュータウン(現・フジグラン高陽)と同地へのフジ出店表明されフジ社内に『中国事業部』が設置された。 そして、1980年昭和55年4月26日から5月1日にかけて、十和本社商工センター移転実施フジ店舗変身することになった

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