北海道移住
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/16 06:37 UTC 版)
広島市 北広島市 「開拓使」および「三県一局時代」を参照 広島県人の移民は1868年(明治元年)県西部の安芸郡・佐伯郡の漁民がハワイやフィリピン群島に上陸したのが最初である、とする資料もある。ただ本格的な海外移民の前に、県は北海道移住を推奨した。 北海道への移住は士族授産の意味合いが強かったが、農民も多く含まれていた。漁民も出稼ぎに行き、やがて定住したケースもあったという。1880年(明治13年)11月室蘭郡へ48戸移住したのを最初として、この時期の最大としては1882年(明治15年) 根室郡幌尻別村へ88戸移住している。幌尻別村では厳しい自然の中で苦しい生活が続き、漁業にも従事するなどして1888年(明治21年)ごろ生活が安定しだした。和田郁次郎を指導者とする一団は1883年(明治16年)札幌郡月寒村へ移住し“広島開墾地"で開拓を始め、そこがのち広島村となり現在の北広島市へと至った。 広島県移民数(人)年海外北海道1882 -- 330(330) 1883 -- 501(492) 1884 -- 637(635) 1885 222(612) 455(455) 1886 (351) 360(360) 1887 (762) 81(81) 1888 (1,647) 83(166) 1889 (1,919) 52(52) 1890 (649) 125(125) 官約移民が始まる前までの広島県人の北海道移住数は、青森・秋田についで全国3位に位置していた。市郡別の北海道移住数がまとまっている資料はないが、個別資料により海外移民と同様に県西部の広島周辺が多かったとみられている。一般的な説として北海道庁 (1886-1947)時代は、東日本の府県のものが北海道移住を選択し、西日本のものは海外移民を選択したとされている。
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