北海道知事出馬への意向
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 00:54 UTC 版)
「栗本慎一郎」の記事における「北海道知事出馬への意向」の解説
舛添要一の1991年北海道知事選挙出馬の可能性が話題になっていた1990年末から1991年初めころ、栗本も道知事への出馬を考えていた。 1990年末、日本テレビ系の『EXテレビ』にゲスト出演した栗本が、レギュラーの舛添と今年の10大ニュースを互いに挙げていくという企画があり、栗本は上位(舛添の愛称が“ヨウちゃん”だから、駄洒落で4位)に舛添の道知事出馬騒動を挙げていた。舛添の「(当時存在しなかった)北海道本拠地のプロ野球チームを作るべき」というアイディアに賛意を表していた。一方、舛添は当時太陽黒点と社会変化の関係を力説していた栗本に対し「太陽黒点移動が、“北海道の時代”の到来と関係あるのではないか?」などと問い詰めていたが、これには何も返答しなかった。 その直後、上記にもあるとおり地方自治を論じた『かくして日は昇る』という本を緊急出版した。今まで地方自治について積極的に語らなかった栗本(当時の『朝まで生テレビ!』などでも東京一極集中を頑なに全面肯定していた)が、突如として北海道自治に関心を示し「もし私が道知事であったなら」などという仮定で政策提言している。 その後、西部邁(北海道出身)との共著(対論)「立ち腐れる日本」でも都知事と道知事へのオファーがあったことを語り、西部から「貴方なら僕も応援するけどな」との賛意を得た。
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