北洋艦隊期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/11 04:23 UTC 版)
光緒元年(1875年)、北洋通商大臣兼直隷総督になっていた李鴻章が洋式海軍を組織すると聞き、丁汝昌は李鴻章を頼る。李鴻章は丁汝昌と劉銘伝が揉めている事を考慮して、丁汝昌を湘軍に戻さずに新海軍創設の参与に据える。光緒6年(1880年)、丁汝昌は新海軍最初の巡洋艦としてイギリスのアームストロング社に発注していた「超勇」「揚威」を引き取りに林泰曽・鄧世昌ら乗組員を引き連れてイギリスに行った。 光緒8年(1882年)、朝鮮で壬午事変が勃発すると丁汝昌は北洋艦隊を率いて朝鮮に赴き大院君を捕らえて帰国してきた。これによって朝鮮には親清政権が復帰し、旧来の宗主国としての存在感のアピールと朝鮮への日本の進出を阻止する事ができた。光緒14年(1888年)に北洋艦隊が正式に発足すると提督に任命され、光緒17年(1891年)7月から8月にかけて艦隊を率いて日本を訪問した。この日本訪問は最新鋭の巨大艦を率いて日本を恫喝することが目的の1つだった。滞在中、芸妓のおしかと恋仲だったという。 光緒17年以降、清朝の海軍予算が大幅に削減される。これは頤和園の改修等に予算を振り分けるためだったと言われるが、いずれにせよ丁汝昌は苦しい財政状況の中で艦隊を運営しなければならなくなった。
※この「北洋艦隊期」の解説は、「丁汝昌」の解説の一部です。
「北洋艦隊期」を含む「丁汝昌」の記事については、「丁汝昌」の概要を参照ください。
- 北洋艦隊期のページへのリンク