北洋軍閥との関係確立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 04:18 UTC 版)
この時期の東三省は、中国各地からの漢族の大量移住と日本・ロシアによる介入のため急速に開発が進んでいた。清朝中央にあって北洋軍を率いる直隷総督兼北洋大臣の袁世凱はこれに目を付け、自らの勢力下に置くことを企てた。袁は事実上の清朝の支配者である西太后に働きかけ、1907年には腹心の徐世昌を東三省総督にすることに成功、更に配下である北洋軍の一部を東三省に送り込んだ。 張は内モンゴルとの境界に近い鄭家屯にあって、地域の安全確保に大きく貢献し、治安の確保に苦心していた徐世昌に認められた。これは張と北洋軍との関係を持ち、更に東三省駐留の北洋軍を吸収する手掛かりとなった。
※この「北洋軍閥との関係確立」の解説は、「張作霖」の解説の一部です。
「北洋軍閥との関係確立」を含む「張作霖」の記事については、「張作霖」の概要を参照ください。
- 北洋軍閥との関係確立のページへのリンク