北洋銀行以後
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1978年6月、北洋相互銀行専務に就き、1980年の同社副社長就任を経て、1982年6月に社長となる。1989年2月には、北洋相互銀行が普通銀行の「北洋銀行」となるのに伴い、初代頭取となる。土地投機には貸付を行わないという経営方針を貫き通し、1997年11月に破綻した北海道拓殖銀行の経営譲渡受け入れを即断する。1998年11月17日、北洋銀行は武井の指揮下で北海道拓殖銀行の北海道内の事業を引き継いだことにより、北海道内でも、かつ第二地方銀行の中でも最大規模の銀行に拡大した。1999年より2000年まで、加藤千麿の後任として第二地方銀行協会会長に就任する。 2000年6月、北洋銀行代表取締役会長となり、2001年には北洋銀行と札幌銀行の経営統合および札幌北洋ホールディングスの設立に立ち会う。2005年6月から2007年6月までは、北洋銀行の相談役を務めた。 2012年2月3日、享年86で死去する。
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