北洋政府国務総理代理
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1922年~1923年外交総長、1924年代総理(国務総理代行)兼外交総長。1924年7月ソ連代表レフ・カラハンと中ソ協定に調印、ソ連との国交樹立、大使の交換、帝政ロシア時代の不平等条約撤廃に合意した。 1926年5月顔内閣の復活により財政総長兼関税委員会主任委員、10月杜錫珪総理辞職後、代総理兼外交総長に就任、1927年6月まで務めた。 1928年国民革命軍による北京占領後、南京国民政府から逮捕命令が出されたため、フランス、カナダへ逃亡。1929年張学良の仲介によって東北に帰国し、1930年冬逮捕命令を取り消される。
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