北方戦争の終結
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/10 03:39 UTC 版)
「カール10世 (スウェーデン王)」の記事における「北方戦争の終結」の解説
カール10世グスタフの崩御によって北方戦争は終結へと至った。度重なる戦争でスウェーデン財政は悪化していた。この年の4月にポーランドとオリヴァ条約、5月にデンマークとコペンハーゲン条約が結ばれ、交戦国と和睦した。ポーランドにはスウェーデンの主権下となったリガを除いて獲得した貿易港を返還し、デンマークには獲得した領土の一部を返還したが、バルト海における一定の覇権を確立する事には成功した。さらにポーランドはスウェーデン王位要求権を完全に放棄した事でスウェーデンとポーランド間の対立は終り、大洪水時代から続くロシア・ポーランド戦争による疲弊と破産からはスウェーデンは免れた。 カール10世グスタフの人生は戦争の連続であった。彼は軍人国王であり、軍事国家としてのスウェーデンを象徴するものであった。国力の消耗とともに、その崩御はスウェーデンにおける軍国時代の終わりを意味した。プファルツ王朝は世襲を認められたが、息子のカール11世グスタフはまだ4歳であった。カール11世には摂政がおかれ、スウェーデン・バルト帝国は新たな局面を迎える事となった。なお、カール10世グスタフの時代のスウェーデンはまだ絶対君主制に至ってはいなかったがその下地が築かれたとされ、孫のカール12世に至る時代を「カール朝絶対主義」(det karolinska envaldet)とも呼ぶ。 北方戦争の全面的な終結は、カール10世グスタフの崩御1年後にロシアとのカディス条約の締結とロシア軍の撤退を持って終了した。
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