北方民族の王者
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/08 04:28 UTC 版)
康熙22年(1683年)からほとんど毎年、康熙帝は夏にはムラン・イ・アバ(muran i aba、木蘭囲場。現在の承徳市囲場満族モンゴル族自治県)に赴き、モンゴル王侯とともに狩猟を行った。こうした狩場で十数日の間、モンゴル風のテント生活を送ったのである。康熙帝は弓の達人で、自ら虎や熊を倒したといわれる。また康熙42年(1703年)には熱河に離宮避暑山荘を造り、毎年夏から秋にかけて北京を離れて熱河で過ごし、モンゴル諸王や外国朝貢使節を引見した。こうした北方民族の王者としての行動様式は、家法として雍正帝や乾隆帝にも受け継がれていく。
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