創業及び設立(1884年 - 1974年)
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「聘珍樓」の記事における「創業及び設立(1884年 - 1974年)」の解説
聘珍樓の創業は1884年。張姓の華僑が現本店所在地に中国料理店を開業。当時は1階にたばこ店などがあり、蒲鉾形の窓を配した2階店舗であった。その後、張茂元が引継ぐ。関東大震災(1923年)で瓦解したものの、後に鮑荘昭、鮑金鉅(ホウ・キンキョ)の父子が継ぎ、これを復興。当時、日本にあった中国料理店では山下町135番地にあった会芳楼(現在は山下町公園にあずまやの会芳亭が記念に立つ)や遠芳楼に次いで古い店。一時は三百坪の大型店で一度に200名〜300名収容できる大広間があった。しかし第二次大戦で再び荒れ果て、鮑金鉅はこれを再建する意欲を失う。その時友人であった龐柱琛(パン・チュウシン、のち日本に帰化して林達雄と名乗る)は「聘珍樓の過去の栄華を考えると忍びない」として1960年頃に鮑金鉅から聘珍樓ののれんと土地建物を買い受けた。龐柱琛は中国廣東省高明県(現佛山市高明区)に生まれ、19歳で横浜に来て30歳まで苦節を重ねたが異国の地での希望を失っていったん故国へ帰ったものの、再び夢を求めて来日し中国料理のコックとして修業を積み、一国一城の主を夢みていた。聘珍樓は明治・大正にかけては大型店ではあったが、震災や戦災などの影響で龐柱琛が買い受けた際はわずか45坪ほどの焼き豚や腸詰めを売る店になっており、1967年に有限会社を設立したころには、聘珍樓が考案したサンマーメン(生碼麺)やその他の一品料理を手軽に楽しめる小型店になっていた。1975年、息子である林康弘が事業を継承するころには、聘珍樓は80坪程の店になっていた。
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