創業及び設立とは? わかりやすく解説

創業及び設立(1884年 - 1974年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 02:09 UTC 版)

聘珍樓」の記事における「創業及び設立(1884年 - 1974年)」の解説

聘珍樓創業1884年。張姓の華僑が現本店所在地中国料理店を開業当時1階にたばこ店などがあり、蒲鉾形の窓を配した2階店舗であったその後張茂元が引継ぐ関東大震災1923年)で瓦解したものの、後に荘昭、金鉅(ホウ・キンキョ)の父子継ぎ、これを復興当時日本にあった中国料理店では山下町135番地にあった会芳(現在は山下町公園あずまやの会芳亭が記念に立つ)や遠芳次いで古い店。一時三百坪の大型店一度200名〜300収容できる大広間があった。しかし第二次大戦で再び荒れ果て金鉅はこれを再建する意欲を失う。その時友人であった琛(パン・チュウシン、のち日本帰化して達雄と名乗る)は「聘珍樓過去栄華考えると忍びない」として1960年頃に金鉅から聘珍樓ののれんと土地建物買い受けた。龐琛は中国廣東省高明県(現佛山市高明区)に生まれ19歳横浜来て30歳まで苦節重ねた異国の地での希望失っていったん故国帰ったものの、再び夢を求めて来日し中国料理コックとして修業積み一国一城の主夢みていた。聘珍樓明治大正にかけては大型店ではあったが、震災戦災などの影響で龐琛が買い受けた際はわずか45坪ほどの焼き豚腸詰めを売る店になっており、1967年有限会社設立したころには、聘珍樓考案したサンマーメン生碼麺)やその他の一品料理手軽に楽しめる小型店になっていた。1975年息子である康弘が事業継承するころには、聘珍樓80坪程の店になっていた。

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