創業前史(1931年〜1935年)
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「東ソー・クォーツ」の記事における「創業前史(1931年〜1935年)」の解説
1931年(昭和6年)、社長の佐野隆一がフェロシリコン製造中に、原料である珪石が透明なガラス状物質を構成したのに着目し、東北大学教授の青山新一の指導のもとに、透明石英ガラスの研究を開始した。東北大学理学部のガラス工作室で研究を行われたが、原料を溶かす熱源に一苦労した。石英ガラスを溶かすには2300℃前後の温度が最適であるが、最適な熱源酸水素炎を確保することが難しかった。仙台では水素ガスの入手ができず、アセチレンガスの燃焼で最高3800℃の温度を得て研究した。後ほど青山教授の低温化学研究によって酸素と水素ガスを大量に手に入れられて、良い研究条件を得られた。 最初は大学の低温研究室に隣接する民家(仙台市伊勢屋横町11番地)を改造して、面積約70平方メートルの試験研究所で研究を始まった。 1933年(昭和8年)4月から、東北大学理学部付属ガラス工作室にいた川村禄太郎、清野宝(通称清野実)、早田末吉によって、青山教授の指導のもとに本格的研究が始められた。そこで行なった研究によって、水晶から原料粉を造り、酸水素炎で溶融して細い棒状(通称ムク棒)にし、さらにそれを使用して管を製作する方法等を開始した。 研究によって、当時出資した佐野隆一はその石英ガラスは耐熱理化学用ガラスとして重要性があるとのことで、企業化の準備に着手した。
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