剣の師について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/28 15:32 UTC 版)
陰流、神道流、念流を学んだという信綱であるが、その師については諸説ある。 陰流 愛洲移香斎(久忠)を師とする説と、移香斎の子・元香斎小七郎(猿飛陰流)を師とする2説がある。愛洲小七郎説 下川潮は『剣道の発達』(大日本武徳会、1925年)で小七郎説をとる。また、久忠の子孫・平沢氏の記録「平澤家傳」(「平澤家伝記」)には信綱に陰流を伝承した記述はない。 疋田豊五郎が発行した伝書は全て、愛洲移香ー>愛洲小七郎ー>上泉武蔵守ー>疋田豊五郎となっている。 愛洲移香斎(久忠)説 尾張柳生家の柳生厳長は『正伝新陰流』にて移香斎説をとる。今村嘉雄は『図説日本剣豪史』で『正伝新陰流』の見解に賛同する。 神道流 松本備前守を師とする説とこれ以外を挙げる説がある。松本備前守説 「武術流祖録」(天保14年)では、松本備前守政元に師事したという。 天真正伝香取神道流宗家・飯篠家では代々飯篠家直の高弟である松本備前守に信綱が師事したと伝承する。 太田亮は『姓氏家系大辞典』(姓氏家系大辞典刊行会、1934年)で松本尚勝に師事したとする。ただし太田は愛洲氏について指摘しない。 武術史研究家・綿谷雪や直心影流15代山田次朗吉によると、直心影流などの伝書にみえる「杉本備前守」は「杉本」が「松本」の誤字であって「松本備前守」を意味するとされている。 杉本備前守政元説 直心影流18代石垣安造は著書『直心影流極意伝開』(新樹社、1992年)で、武術流祖録の内容は直心影流の兵法伝記からの写しであり、姓だけを勝手に杉本から松本にすり替えて改変したもので、「杉本」が「松本」の誤字ではなく、元禄の初めから現在まで直心影流は「松本備前守」ではなく「杉本備前守政元」が流祖であると主張している。 師の名を不記載 今村嘉雄は『図説日本剣豪史』では、信綱は念阿弥慈恩を流祖とする念流の流伝を学び、さらに飯篠長威斎の流伝になる神道流を修めたとし、師の名は挙げない。 『正伝新陰流』では、備前守の信憑は飯篠宗家の記録が唯一だとし、ただ長威より50 - 60年代後代の人とあるだけでは、極めてあいまいだと論考している。
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