前原巧山に関する研究・小説・テレビドラマなど
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「前原巧山」の記事における「前原巧山に関する研究・小説・テレビドラマなど」の解説
前原巧山の存在は、地元宇和島市でもかつてはそれほど知られていなかった。1958年(昭和33年)に、地方史研究家(郷土史家)兵頭賢一が、大阪で発見された「前原一代咄」を紹介したことで知られるようになった。 1977年のNHK大河ドラマ『花神』で愛川欽也が演じ有名になった。当時、NHKローカルニュースで宇和島市在住の「巧山の子孫」が紹介されたことがあった。原作者司馬遼太郎の小説『花神』『伊達の黒船』(『酔って候』に収録)に、以下のように描かれた。また、みなもと太郎の漫画『風雲児たち 幕末編』も、これらに基き人物像が描かれている。宇和島藩で村田蔵六(後の大村益次郎)と共に、国内ではまだ無かった蒸気機関をつくる(国産第1号はわずかな差で薩摩藩が先だったといわれている)。学者肌の有能な職人であった。蔵六は嘉蔵の頭脳を「ヨーロッパであれば大学教授であったろう」と評した。 もともと嘉蔵は、提灯の紙を張り替える謙虚な職人であったが、それだけでは収入が低くて生活ができないので、人々に頼まれては、どぶ板直しから雨漏り修繕・小間物細工などを行ううち、手先の器用さと優秀さを知られるようになった。ほとんど無学で、寺子屋で字を習った程度であった。 宇和島藩に召抱えられた蔵六は、国内ではまだなかった蒸気船を製造するために、優秀な職人を探していた。そこで薦められたのが、鍛冶屋でも時計職人でもなく、この提灯張り替え職人の嘉蔵であった。 みすぼらしい裏長屋の奥に住んでいた嘉蔵を、蔵六が訪ねるとそんな身分の高い人に会うのは恐れ多いと、嘉蔵は裸足で逃げてしまう。後に、嘉蔵が持ってきた自作のからくり模型を見て、蔵六は嘉蔵の才能に惚れ込む。嘉蔵は、蔵六の図面も直ちに理解してしまい、改良案を進言するなど、蔵六をうならせた。 司馬は「この時代宇和島藩で蒸気機関を作ったのは、現在の宇和島市で人工衛星を打上げたのに匹敵する」と述べている。
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