前半生から潜水艦畑
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/24 17:26 UTC 版)
「アルフレッド・E・モントゴメリー」の記事における「前半生から潜水艦畑」の解説
アルフレッド・ユージン・モントゴメリーは1891年6月12日、ネブラスカ州オマハにおいて父ユージーン・モントゴメリーのと母ジュリア・スミス・モントゴメリーのもとに生まれる。オマハとマサチューセッツ州ブルックラインのブルックライン・ハイスクール(英語版)で教育を受けたのち、ネブラスカ州からの推薦を受けて1908年にアナポリスに入学。モントゴメリーは1912年6月8日にアナポリスを卒業した。卒業年次から「アナポリス1912年組」と呼称されたこの世代からはアメリカ海軍作戦部長を務めたルイス・デンフェルド、潜水艦部隊を指揮したチャールズ・A・ロックウッド、太平洋艦隊参謀長を務めた「ソック」チャールズ・マクモリス、ビラ・スタンモーア夜戦とブーゲンビル島沖海戦の覇者アーロン・S・メリル、ルンガ沖夜戦で一敗地にまみれたカールトン・H・ライトらがいる。 アナポリス卒業後、モントゴメリーは士官候補生となって戦艦「バージニア」(USS Virginia, BB-13)に配属される。続いてロードアイランド州ニューポートの海軍訓練所に移り、練習艦「コンステレーション(英語版)」で船内教官となる。1914年に少尉に任官し、1914年2月から1915年7月の間にかけて防護巡洋艦「タコマ」(USS Tacoma, PG-32)配属を経て軽巡洋艦「チェスター」(USS Chester, CL-1)と戦艦「コネチカット」(USS Connecticut, BB-18)乗組みとしてアメリカ=メキシコ国境紛争(英語版)に参加した。 1915年7月、モントゴメリーは潜水部隊勤務を命じられ、モニター艦「トノパー」(USS Tonopah, BM-8)での訓練ののち、潜水艦E-1(USS E-1, SS-24)の副長となった。これより前の1914年11月、モントゴメリーはメア・アイランド海軍造船所で整備中の潜水艦F-1を見る機会があり、1917年6月にそのF-1の艦長となる。しかし、1917年12月17日にF-1は僚艦F-3(USS F-3, SS-22)と衝突事故を起こして沈没。モントゴメリーは辛くも救助されたが、19名の乗員が失われた。生還したモントゴメリーはユニオン造船所で建造中の潜水艦R-20(英語版)(USS R-20, SS-97)の初代艦長に内定し、R-20は1918年10月26日にモントゴメリーの指揮下で就役した。R-20での職務を終えたあと、1920年10月からはR-20と同じユニオン鉄工所で建造中であった潜水艦S-32(英語版)(USS S-32, SS-137)の建造監督官を、S-32が艤装のためにメア・アイランド海軍造船所に回航される1921年1月まで務めた。
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