制度発足の経緯
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日本の鉄道の発達に伴い、その車上の治安維持の必要性が高まったことから、1922年より、警察官が警戒のために乗り込む「移動警察」制度が開始された。しかし翌1923年の勅令第528号により、専務車掌が列車内で司法警察職員としての職務を行いうるとの勅令が定められたこともあって、1927年にはこの制度は廃止された。その業務を引き継いで、鉄道省に「鉄道司法警察官吏」という職員が設置されたが、駅長などの駅員や車掌の兼務職であり、警察業務専任の職員は存在していなかった。 第2次世界大戦終結直後の戦後混乱期は、電力・石炭事情の悪化に伴う列車運行数の激減、極端な食糧不足に伴う買い出し客の殺到、そして全般的な治安悪化の影響もあり、駅や列車内においても治安が極度に悪化し、犯罪 が横行していた。このことから、まず1946年3月から、試験的に警視庁による警乗が行われ、東京-横浜間の東海道線主要列車に警部補以下8名の制服警官を乗車させて警戒に当たったところ、きわめて良好な成績を収めた。運輸省としても、1946年7月には鉄道司法警察官吏の職務を拡大して治安維持を図ったものの、当時、これに該当する職員は1,500名に満たず、また経験不足のものも多かった。 このことから警視庁が行った試験警乗の成果が着目され、内務省と運輸省の協議により、まず1947年1月22日から東海道線・山陽線の第1・4・5・8の各列車について、警察官による警乗が開始された。警視庁の場合、本庁勤務の警部補または巡査部長を班長とする制服巡査2名のほか、刑事・経済係の刑事各1名により編成されていた。この成果は極めて良好であり、1947年5月1日からはこれら区間の短距離列車、そして6月1日からは全国主要線にも全面的に警乗が開始された。 これによって列車内の秩序は全国的に著しく改善されたものの、運輸省としては、列車内の治安はやはり鉄道当局の責任であるとの意識が強かった。このことから、1947年4月、鉄道当局自らの治安維持担当官として設置されたのが鉄道公安職員であった。その後1949年(昭和24年)の日本国有鉄道発足に伴い、「鉄道公安職員の職務に関する法律」(昭和25年法律第241号)により鉄道公安制度が確立された。鉄道公安職員は、鉄道管理局及び主要駅に置かれた鉄道公安室に所属し、統括部署として日本国有鉄道本社の中に公安本部が置かれていた。人数はおおよそ3000人規模であった。 なお、本制度の発足に伴い、警察官による警乗は1947年12月末をもって一旦打ち切られたものの、制度発足期の混乱もあって列車内の治安が再度悪化したことから、国家地方警察本部の指示により、1948年7月から再度警乗が行われたこともあった。
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