制度発足の経緯とは? わかりやすく解説

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制度発足の経緯

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/27 15:15 UTC 版)

鉄道公安職員」の記事における「制度発足の経緯」の解説

日本の鉄道発達に伴い、その車上治安維持必要性高まったことから、1922年より、警察官警戒のために乗り込む移動警察制度開始された。しかし翌1923年勅令528号により、専務車掌列車内で司法警察職員としての職務行いうるとの勅令定められたこともあって、1927年にはこの制度廃止された。その業務引き継いで鉄道省に「鉄道司法警察官吏」という職員設置されたが、駅長などの駅員車掌兼務職であり、警察業務専任職員存在していなかった。 第2次世界大戦終結直後戦後混乱期は、電力石炭事情悪化に伴う列運行数の激減極端な食糧不足に伴う買い出し客の殺到、そして全般的な治安悪化影響もあり、駅や列車内においても治安極度に悪化し犯罪横行していた。このことから、まず1946年3月から、試験的に警視庁による警乗が行われ、東京-横浜間東海道線主要列車警部補以下8名の制服警官乗車させて警戒当たったところ、きわめて良好な成績収めた運輸省としても、1946年7月には鉄道司法警察官吏職務拡大して治安維持図ったものの、当時、これに該当する職員は1,500名に満たず、また経験不足のものも多かった。 このことから警視庁が行った試験警乗成果着目され、内務省運輸省協議により、まず1947年1月22日から東海道線山陽線の第1・4・5・8の各列車について、警察官による警乗開始された。警視庁場合本庁勤務警部補または巡査部長班長とする制服巡査2名のほか、刑事経済係の刑事各1名により編成されていた。この成果極めて良好であり、1947年5月1日からはこれら区間短距離列車、そして6月1日からは全国主要線にも全面的に警乗開始された。 これによって列車内の秩序全国的に著しく改善されたものの、運輸省としては、列車内の治安はやはり鉄道当局責任であるとの意識強かった。このことから、1947年4月鉄道当局自らの治安維持担当官として設置されたのが鉄道公安職員であったその後1949年昭和24年)の日本国有鉄道発足に伴い、「鉄道公安職員職務に関する法律」(昭和25年法律241号)により鉄道公安制度確立された。鉄道公安職員は、鉄道管理局及び主要駅置かれ鉄道公安室所属し統括部署として日本国有鉄道本社中に公安本部置かれていた。人数おおよそ3000規模であった。 なお、本制度発足に伴い警察官による警乗1947年12月をもって一旦打ち切られたものの、制度発足期の混乱もあって列車内の治安再度悪化したことから、国家地方警察本部指示により、1948年7月から再度警乗が行われたこともあった。

※この「制度発足の経緯」の解説は、「鉄道公安職員」の解説の一部です。
「制度発足の経緯」を含む「鉄道公安職員」の記事については、「鉄道公安職員」の概要を参照ください。

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