制作代金
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/27 23:24 UTC 版)
祭壇画の制作契約が結ばれると、1483年5月1日に手付金として100リラが支払われた。その後、1483年7月から1485年2月まで毎月40リラの合計800リラが支払われている。当初の契約では、最終支払いは1483年12月に予定されていた作品の完成、搬入との引き換えで行われることになっていた。 1490年から1495年にかけて、レオナルドとアンブロージオは無原罪の御宿り信心会に、契約書では祭壇画の中央パネルだけで800リラの代金となっているとして、残りのパネルやレリーフの制作代金としてさらに1,200リラの支払いを求めた。しかしながらこの要求に対する無原罪の御宿り信心会からの返事は、残代金として100リラのみを支払うというものだった。レオナルドとアンブロージオは、レオナルドのパトロンでもあったミラノ公ルドヴィーコ・スフォルツァに、この問題に関して自分たちに有利になるような仲裁をしてくれるように依頼した。これにより祭壇画は改めて専門家による評価を受け、無原罪の御宿り信心会が支払った価格よりも価値があると判断されたと考えられている。レオナルドとアンブロージオは、支払い問題が合意に達しない場合には、祭壇画から中央パネル以外の装飾を取り除くとしていた。 1503年にアンブロージオは自分自身と、死去した弟エヴァンジェリスタの子供のために、再度支払い要求の訴えを起こした。当時のミラノの支配者だったのは、1499年にミラノ公国へと侵攻しスフォルツァ公家を追放していたフランス王ルイ12世だった。アンブロージオの訴えを耳にしたルイ12世は、1503年3月9日にアンブロージオに有利になるように取り計らうことを求めた書簡をミラノ司令官に送っている。それでも無原罪の御宿り信心会は1503年6月23日に、祭壇画の価値の再評価を求めるアンブロージオからの要請を拒絶すると発表した。しかしながら最終的にはアンブロージオの要請が認められ、1506年4月27日に祭壇画の価値が再評価されることとなった。そしてこの再評価で祭壇画は未完成であると判定され、レオナルドに祭壇画を最後まで描き上げるようにという勧告がなされている。しかしながら当時のレオナルドは、フランス軍がイタリアへ侵攻した1499年以来ミラノを離れていた。 紆余曲折の末、1508年8月18日に『岩窟の聖母』は無原罪の御宿り礼拝堂に納入された。アンブロージオは1507年8月7日と1508年10月23日に、合計200リラの支払いを受けている。このアンブロージオの支払い金額の受取りに同意したレオナルドからの書簡が現存している。
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