利用上の問題点
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/16 23:09 UTC 版)
1989年(平成元年)6月20日に美唄と仙台の間で行われていた運行実験で、早くも空荷で離陸する便が生じるなど実験的な運航の初期の段階から問題が表面化していたが、事業は大きな見直しもないまま進行した。 そして、悪天候時に離着陸が出来ないために、新得町農道離着陸場の初年度の就航率は約63%留まり、輸送料も割高であるなど正式な開業直後にも問題が相次いで表面化した。 また、行政からの補助金を受けた委託事業として当事業向けの農産物を作っていた農家も多く、補助金の打ち切りと共に空輸による販売を前提とした農作物の作付・生産自体が大きく減少して積み荷が集まらなくなるという事態も発生し、そのことにその年の天候不順による生育遅れも重なったことから、1997年(平成9年)の新得町農道離着陸場の農産物の空輸実績は早くも0となった。 北見市農道離着陸場も2005年(平成17年)は年間で1回だけ、2006年(平成18年)度には農産物の空輸実績は0となっていたことから、北見市長の諮問機関が廃止の検討をするよう提言する事態に至った。 こうして点を含めて数々の問題が生じたことから、結果的に建設されたすべての農道空港が赤字となった。現在は、地元自治体が多目的離着陸場として運営している。 空輸するほど付加価値の高い農産物の需要が創出できなかった。 大都市方面への行きの貨物はともかく、帰り便の貨物はゼロに等しく効率が悪かった。 空港開設期にバブル経済が終焉を迎えた。 高速道路が次々と完成し、トラック輸送との優位性が低下した。 事実上、夜間の離着陸ができないため、市場の開場時刻に合わせて出荷することができず、鮮度の優位性が確保できなかった。 地方空港の高規格化が進み、旅客化の見通しが無くなった。 大都市の空港では、旅客便の集中化が進み、離着陸が難しい状況になった(羽田空港発着枠を参照)。
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