初犯から数度の累犯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/04 01:41 UTC 版)
「福岡連続保険金殺人事件」の記事における「初犯から数度の累犯」の解説
国鉄退社後、浜田は同じ村の者たちと一緒に山口県の東洋紡績工場に就職するが、同友に誘われてすぐに辞めている。その際に同友が寮の社員の品物を盗み、「このお金を私も一緒に使った事で、後に逮捕されるのですが、これが初犯の事件です」と記している。 逮捕されたのは1946年(昭和21年)8月で、共犯を連れてきた刑事に「家が貧乏な為被害者に弁償する事は出来ませんと断わるように言われた」のを実行した結果、裁判官を怒らせて執行猶予が付かず、求刑通り懲役10か月を言い渡され、鹿児島刑務所に服役することとなった。 このときは新憲法発布に伴う恩赦により3か月で仮出所したが、刑務所時代の友人に空き巣に誘われ、「私は反対するけれど」品物を闇市に売りに行くのについていったところを逮捕され、再び鹿児島刑務所で1年半にわたり服役することとなる。出所後も2回にわたり、窃盗などで逮捕され、第4回目の出所(仮出所)の際には母が病死したため、保護会に引受けてもらって仮出所している。 その後は佐賀県の炭鉱で採炭夫を勤めたのち、以前の蒲鉾店で再び働き始めた。このとき、蒲鉾屋の娘の縁談を含め、結婚の申し出を三つ同時に受けるという出来事もあった。この出来事について浜田は「私は誰にでも親切と優しさがあったので人から好かれていたのは事実でした。他には何もありません」と記している。ただ浜田は蒲鉾店の親類の百姓の娘と交際しており、この娘が3か月の身重になっていたため、彼女と結婚することになった。 しかし、浜田はその後も窃盗を繰り返しては逮捕されることを繰り返した。子供が生まれた際、浜田は田んぼの電線を盗んでお産の費用や子供の衣類のための金を作り、再度逮捕される。その後、服役した浜田は仮出所後に福岡へ出てタクシー運転手として勤め始めるが、友人が車を盗むのに協力して2度逮捕され、さらに後には万引きグループに協力して再度逮捕された。結局、浜田は一連の連続保険金殺人以前に、合計して17年ほどの刑務所生活を送っている。
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