初期の打ち上げ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/05 06:03 UTC 版)
「ケネディ宇宙センター第39発射施設」の記事における「初期の打ち上げ」の解説
発射台を最初に使用することとなったのは、アポロ計画の月ミッションの一環として打ち上げることとなったサターンVロケットである。それに後れて、スカイラブ計画およびアポロ・ソユーズテスト計画 (ASTP) では、サターンIBロケットが打ち上げられた。発射台の元の構造は次期のスペースシャトルの需要に応じて改造されることになり、スカイラブを輸送したサターンVの最終打ち上げの後にLC-39Aが1973年より、アポロ・ソユーズテスト計画を終えたLC-39Bが1977年より、それぞれ改造期間に入った。 アポロ時代にはこれらは単なる発射台(発射プラットフォームに備え付けられたアンビリカル/サービスタワー)だったが、改良工事によりサターンVロケット用の発射台を使用してサターンIBロケット (すべてのスカイラブ有人ミッション、スカイラブ・レスキュー(英語版)、ASTP) を打ち上げることが出来るようになった。スペースシャトルに対しては、発射台に固定された(アポロ=サターン時代から残された)発射塔に、回転する可動式のプラットフォームが取り付けられ、オービタ(機体)を保護するとともに、ペイロードベイに垂直向きのペイロードを搬入することが出来るようになった。スペースシャトル以後のNASAのコンステレーション計画に際しては、2基の発射台はアポロ計画時代に近い状態に戻される一方で、アレスIとアレスVを落雷の危険から守るための避雷針が設置された。 LC-39は1967年のサターンVの打ち上げで初めて使用され、無人のアポロ4号を輸送した。2度目の無人宇宙船アポロ6号の打ち上げでもLC-39Aが使用された。LC-39B発射台を使用したアポロ10号を除いては、アポロ8号に始まるアポロ計画のすべての有人ミッションは、LC-39Aを使用して実行された。1973年のスカイラブの打ち上げ以降、LC-39Aはスペースシャトル用に再構成され、1981年のコロンビア号(STS-1)の初打ち上げに使用された。アポロ10号の打ち上げの後、LC-39BはLC-39Aが万一の事故などの不具合により使用できなくなった場合のバックアップ発射施設として保持された。アポロ・ソユーズテスト計画後は、LC-39Aと同様の改造が施されることとなったが、予算削減のため、1986年まで使用可能な状態になかった。そして、39Bを使用した最初のスペースシャトルの打ち上げは不幸にも打ち上げに失敗したSTS-51-Lであり、チャレンジャー号爆発事故を引き起こすこととなった。 2008年5月31日に実行されたSTS-124の打ち上げの際に、LC-39Aの発射台は、固体ロケットブースタの炎を逸らすために使用されるコンクリート製トレンチを中心に、大きな損害を受けた。その後の調査により、この損害はエポキシ樹脂の炭化、およびトレンチ内部で耐火レンガを支える鉄製の錨が腐食したことによってもたらされたことが判明した。固体ロケットブースタの副産物として塩化水素ガスが排出されるという事実により、一層事態を悪化させることとなった。 LC-39A発射台から初めて打ち上げられるサターンVロケット (無人のアポロ4号を積載) アレスロケットの打ち上げに向けた改造作業が進むLC-39B
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