初期の抵抗
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 00:00 UTC 版)
詳細は「スペインに対するフィリピン人の反乱(英語版)」および「スペイン・モロ紛争(英語版)」を参照 スペインに対する抵抗は、オーストロネシアの都市の征服ですぐに止まらなかった。セブのラージャパティスの後、何人かの原住のフィリピン人貴族がスペインの支配に抵抗した。支配を通じて、スペイン政府は国中でとてつもない数の反逆に立ち向かった。その内ほとんどはうまく鎮圧できたが、いくつかは反逆のリーダーとの合意を通じて勝利した。 スペイン人とモロ族の対立は数百年間続いた。1875年から1900年まででスペインはミンダナオ島とホロを征服し、スールー王国のモロはスペインの主権を公式に認めていた。 1762年から64年にイギリスがマニラに侵攻してきていた間、ディエゴ・シランはイロコス地方の統治者に任命された。そして彼が仲間のフィリピン人に暗殺された後、彼の妻であるガブリエラ・シランはイロコス地方での最初のスペインに対する反抗を率い続けた。スペイン支配に対する抵抗は地域的であったという特徴があり、民族集団に基づいていた。 スペイン化はルソン島の北の山々の中心には広がらず、ミンダナオ島の内地の集団にも広がらなかった。
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