分裂・消滅
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/21 07:54 UTC 版)
ロックウェルの死後、副党首のマティアス・コールが後継者となった。コールは熱狂的な国家社会主義者であり、ロックウェルの穏健路線を放棄し、再びハーケンクロイツと突撃隊を模倣した制服を復活させ、白人至上主義を前面に打ち出した。また、国家社会主義者世界連合(WUNS)議長の地位も継承し、パブル・リース=クヌッセン(英語版)を書記に任命して勢力の拡大を目指した。 しかし、1970年代に入ると思想面の対立から内部分裂が起こり、1970年にユダヤ人の父を持つフランク・コーリン(英語版)が党を離脱し、アメリカ国家社会党を結成した。党内に残っていた反コール派はウィリアム・ルーサー・ピアースの元に集まり、ピアースは1974年にナショナル・アライアンス(英語版)を結成してNSWPPを離脱した。 有力幹部ピアースの離脱でNSWPPは大きな打撃を受けたが、コールはサヴィトリ・デヴィ(英語版)の影響を受け神秘主義に傾倒しており、次第に政治活動から宗教活動に重点を置くようになった。彼はナチズムを「白人を退廃と絶滅から救うためのヒトラーからの贈り物」と考え、ヒトラーの死を殉教と捉えていた。このような思想はWUNS内部からも反発を招くが、コールはより宗教色の強い党に再編成し、ニュー・オーダー(英語版)を結成した。これにより、ロックウェルが築いたANPは消滅した。 1979年11月3日、NSWPPはクー・クラックス・クラン(KKK)と連携して、ノースカロライナ州グリーンズボロで行われたアメリカ共産主義労働者党(英語版)(CWP)主催のデモ運動を襲撃した(グリーンズボロの虐殺(英語版))。この際、NSWPPとKKKはCWP党員5人を殺害し、40人が警察に逮捕された。NSWPPとKKKは起訴されたが、2件の刑事裁判で無罪となったものの、1985年の民事裁判ではデモ参加者の権利を侵害したとして35万ドルの賠償を命じられた。
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