再びの上海:中国新文学の翻訳とは? わかりやすく解説

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再びの上海:中国新文学の翻訳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 05:24 UTC 版)

井上紅梅」の記事における「再びの上海:中国新文学の翻訳」の解説

紅梅上海戻った直接理由は、新聞日刊支那事情』の文芸担当することになったためである(なお、『日刊支那事情』の発行母体は「古巣」である上海日日新聞同一である)。紅梅関心も、かつてのような娯楽から「純粋の支那風俗」に移行し古典文学白話小説などの文芸研究打ち込んでいくことになる。 中国新文学運動に対しては、当初は「過渡期中途半端なハイカラがかった作品」として冷ややかに見ていたが、紅梅自身の言によれば1926年5月に張資平(中国語版)の作品接したことを契機として認識改め胡適や譚正璧の作品論評など日本発信した魯迅作品翻訳にも着手し1926年に「狂人日記」を翻訳1927年12月には『上海時論』に「在酒楼上」を発表1928年には同誌に「風波」「」「阿Q正伝」「社戯」の翻訳掲載したまた、1928年昭和3年)には『紅い土と緑(あお)い雀』を刊行した紅梅中国社会・文化風俗に関する文章は、実見踏まえて写実的詳細な筆致であり、それが他の「シナ通」にはない特徴となっていた。当時日本知識人には、中国風俗を知るルポルタージュとして歓迎された。たとえば芥川龍之介1921年大正10年)に上海訪問した際、現地を知るために最適な情報源として『支那風俗』を挙げ南京周遊した佐藤春夫随筆に『紅い土と緑い雀』を取り上げた1926年大正15年6月には総合雑誌改造』に紅梅随筆初め掲載されるなど、紅梅の名は日本でも知られるようになった

※この「再びの上海:中国新文学の翻訳」の解説は、「井上紅梅」の解説の一部です。
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