再びのレイカーズ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/26 00:43 UTC 版)
「ゲイル・グッドリッチ」の記事における「再びのレイカーズ」の解説
グッドリッチのレイカーズ帰還はレイカーズのバックコートを大幅に強化し、グッドリッチとジェリー・ウェストのバックコートはリーグ有数のオフェンス力を誇った。この頃大黒柱のエルジン・ベイラーが故障がちになり、ウェストに過大な負担が掛かるようになっていたが、グッドリッチの加入によりウェストの負担が軽減され、また相棒に優秀なスコアラーを得たことによりウェストはプレイメイカーに専念することができたため、アシスト数を大幅に伸ばすことができた。 33連勝 グッドリッチがレイカーズに復帰して2年目の1971-72シーズン、レイカーズに激震が走った。長年レイカーズを支えてきたベイラーが膝の故障が悪化し、シーズン序盤に引退してしまったのである。レイカーズを幾度となくNBAファイナルに導きながらもついぞ優勝できなかったベイラーの引退はチームメイトたちを一致団結させ、レイカーズは猛烈な勢いで勝ち続けた。 特に奮起したのがグッドリッチだった。グッドリッチはこのシーズンキャリアハイとなる25.9得点を記録し、ウェストやウィルト・チェンバレンらNBA史上屈指のスコアラーに数えられるチームメイトらを抑えて、チームトップの成績を収めた。あらゆる敵を薙ぎ倒したレイカーズはこのシーズン、アメリカプロスポーツ史上最長記録となる33連勝、当時のNBA記録となる69勝を記録。プレーオフに入ってもレイカーズの勢いはとどまる事を知らず、ついにはファイナルに進出し、ニューヨーク・ニックスを破って、グッドリッチにとっては初の、そしてレイカーズにとっては1954年以来となる優勝を成し遂げた。 グッドリッチの好調は翌シーズンに入っても続き、23.9得点4.4アシストを記録。レイカーズも60勝をあげ、2年連続でファイナルに進出するが、ニックスに破れ、連覇はならなかった。 1973-74シーズンに入り、レイカーズは転換期を迎えた。シーズン前にはチェンバレンが、さらにシーズン中にはウェストが引退。チームの中心選手2人がほぼ同時に引退し、2年前の33連勝と優勝を支えた中心選手はグッドリッチとハッピー・ハリストンのみとなった。グッドリッチにはチェンバレンとウェストという2人の偉大な選手の穴を埋める働きが求められ、そしてグッドリッチはチームの期待に見事に応え、このシーズンは25.3得点5.2アシストを記録。シーズン通算フリースロー試打数、成功数は共にリーグ1位となり、成功率は86.4%と高い数字を叩き出した。チェンバレン、ウェストの引退に苦戦が予想されたレイカーズは、前季から大幅に勝率を落としたものの、グッドリッチの活躍で47勝35敗と勝ち越し、プレーオフにも進出。レイカーズをエースとして支えたグッドリッチは、初めてオールNBA1stチームに選出された。 31歳となり、肉体に衰えが出始める年齢に達したグッドリッチは体重を10ポンド落とすことでスピードとスタミナを維持し、1974-75シーズンも22.6得点をあげる好調ぶりを示した。しかしグッドリッチの努力にも関わらずこのシーズンはチェンバレンとウェストの引退の影響がはっきりと表れ、チームは負け越し、17年ぶりにプレーオフを逃した。1975-76シーズンには当時のNBA最高峰の選手の一人、カリーム・アブドゥル=ジャバー(グッドリッチにとってはUCLAの後輩)がレイカーズにやってきた。ウェストとプレイするようになって以来シューティングガードとしてプレイしていたグッドリッチは、本来の司令塔という立場に戻り、レイカーズのバックコートを新戦力のルーシャス・アレンと共に支え、このシーズンは40勝42敗まで勝率を持ち直した。
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