再びアジアを主な拠点に
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 07:54 UTC 版)
「フィリップ・トルシエ」の記事における「再びアジアを主な拠点に」の解説
2007年12月、日本フットボールリーグ所属のFC琉球総監督就任が発表された。契約期間は2008年1月から5年間。2008年は同じフランス人のジャン=ポール・ラビエ(フランス語版)を監督に招いたが、総監督のトルシエによる現場介入のために両者の衝突があった。新里裕之を監督に据えた2年目以降からは、トルシエは現場からは距離を置いた。 2009年12月10日、フランスから国家功労勲章シュヴァリエを受章された。 2010年1月28日、2018/2022 FIFAワールドカップ日本開催招致アンバサダーに就任した。同年7月8日、日本の観光庁からスポーツ観光マイスターに任命された。 2011年2月、中国サッカー・スーパーリーグの深圳紅鑽の監督に就任した。同年のスーパーリーグで深圳紅鑽は最下位(16位)となり甲級リーグ(2部)に降格した。2012年は甲級リーグ7位、2013年も5位で昇格を逃した。 2014年7月、チュニジア・リーグのCSスファクシアンの監督に2年契約で就任。しかし、CAFチャンピオンズリーグ準決勝でコンゴ民主共和国のASヴィタ・クルブに負けてチャンピオンズリーグ優勝を逃したため、9月28日にクラブと本人の合意のもと契約解消となった。 2014年12月、中国サッカー・スーパーリーグの杭州緑城足球倶楽部の監督に就任した が、2015年7月1日、成績不振により解任された。 2017年3月、中国サッカー・スーパーリーグの重慶当代力帆足球倶楽部のスポーツディレクターに就任し、ユース年代の育成システムの確立を担うことになった。
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