円谷のオプチカル・プリンター導入
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 01:58 UTC 版)
「オプチカル・プリンター」の記事における「円谷のオプチカル・プリンター導入」の解説
1937年(昭和12年)に東宝の「特殊技術課」へと迎えられた円谷英二は、手動式の国産機を自ら設計することで、同課の合成技術の向上を目指していた。東宝でも、『ゴジラ』を機に合成技術の更なる向上を目指していた円谷の意欲に応えるべく、1963年(昭和38年)の6月にはアメリカにて開発済みの、オックスベリー(Oxberry)社製スリーヘッド方式オプチカル・プリンター1900シリーズを『マタンゴ』の撮影用に購入した。 円谷は、スリーヘッド方式の性能でも満足しなかった。自ら主宰する円谷特技プロダクションに、フジテレビとTBSからそれぞれ、円谷の優れた特殊技術を活かした新番組企画の発注があったことを知り、オックスベリー社で新たに開発されたフォーヘッド方式オプチカル・プリンター1200シリーズの購入を決断した。だが当時、世界中に2台しか存在しなかった1200シリーズの価格は11万ドルで、当時のレートで換算すると4000万円という高額な機材だったことから、円谷は手付け金の500万円を工面すべく、円谷特技プロダクションを東宝傘下の会社にすることで、資金面での安定を図ろうとした。円谷はフジテレビで企画中だった新番組『Woo』の制作予算を回すことで一時的にしろ1200シリーズの購入代金を立て替えようと計画した。しかし『Woo』が中止となり不可能となった。船で輸送途上の現物をキャンセルする訳にもいかず、TBSの敏腕ディレクターで円谷の長男でもある円谷一の仲介で、TBSが代わって1200シリーズを購入し、同局のために円谷特技プロダクションがオプチカル合成技術を用いた特撮番組を制作するという契約が結ばれ、機材を遊ばせないためにまだ検討段階にあった『UNBALANCE』の制作を決定、タイトルは後に『ウルトラQ』に改められ1966年から放送を開始し人気を博した。また機材は後の「ウルトラシリーズ」でも使用される事となった。このプリンターはその後、TBS局内にあった「TBS現像所」(通称:TBSラボ)で長い間使用され、映画、CM等で活躍した。 当時の円谷プロの購入騒動に刺激されてか、オックスベリー社製のオプチカル・プリンターはその後も東映化学工業や東洋現像所などの大手現像所や、日本エフェクトセンターといった合成の専門会社に相次いで設置されることになった。因みに業界内でも高品質な合成カットで知られていたデン・フィルム・エフェクトの社内では、線画台を使った作画や合成用マスクの作成が専門であり、仕上げのオプチカル撮影は日本エフェクトセンターへと一任されていた。
※この「円谷のオプチカル・プリンター導入」の解説は、「オプチカル・プリンター」の解説の一部です。
「円谷のオプチカル・プリンター導入」を含む「オプチカル・プリンター」の記事については、「オプチカル・プリンター」の概要を参照ください。
- 円谷のオプチカル・プリンター導入のページへのリンク