内水災害の防除
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/10 22:48 UTC 版)
輪中は集落の低位部に堤防が存在するため、その外側に自然に排水が流れ出ることがなかった。流れ出ずに溜まった排水は悪水と呼ばれ、その排水の為に堤防に排水のための悪水吐圦樋を設けた。圦樋は増水時には閉じられたが、水圧が大きい場合には破壊されてそこから水が流入してくる場合があった。 河川の水位が土砂の堆積により上がると圦樋での排水が困難となる場合があった。その際は圦樋の位置を従来より低位部に移した。これを江下げと言った。さらに河川水位が上がり天井川となると輪中の外周の河川へ排水ができなくなった。そのような場合には河床の下を通りサイフォンの原理で河川下流部へ排水する伏越樋が造られた。伏越樋は木製で経年劣化したので一定の期間を経ると伏せ替えが行われた。海抜ゼロメートル地帯に属する輪中では伏越による排水も出来ないため、干潮時は外側に開き満潮時に閉じる仕組みの門樋が作られた。海津市歴史民俗資料館には明治期に用いられた金廻四間門樋が復元展示されている。悪水吐による排水は近代化が進むにつれ工業排水が増える等の理由もあり、ポンプによる機械排水に取って代わられ、廃れた。 また、破堤等により輪中内に大量に水が滞留し、悪水吐では能力が不足して排水ができない場合は非常手段として低位部堤防を意図的に切り割りして破堤させる乙澪(おとみよ、乙澪切り)が行われる場合があった。明治29年の豪雨により大垣輪中内に滞留した水を揖斐川へ排水するために金森吉四郎により横曽根権現下堤を切り割りした例が最も著名であるが、江戸期からこの方法は採られていた。 内水の問題は輪中内部でも利害が異なり、上流側で高位部の上郷と下流側で低位部の下郷で対立を惹起させた。上郷の集落では井戸を掘って水を得ていたが、得られた水は最終的には排水となって下流部へ流れ込んだ。しかも輪中地域は西は養老町から東は羽島市まで、北は瑞穂市から南は海津市までが自噴帯であり井戸を掘ると止め処なく水が出た。よって上郷が多くの井戸を掘ればその分下郷は排水により害を蒙るため、上郷が掘る井戸の数を制限するため株井戸という制度が設けられた。上郷は井戸の数に応じて下郷に対して保障を行った。他にも下郷は上流部からの悪水が流れ込まないように上郷との境界に小さな堤防を作る場合があった。これは除(よげ)、除桁(よげた)、横堤、横土手、中提などと呼ばれた。上郷からは排水の妨げになるものであったため、対立の原因となった。
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