内政と大統領としての流儀
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/14 01:47 UTC 版)
「イタマール・フランコ」の記事における「内政と大統領としての流儀」の解説
大統領就任当時のブラジルは経済危機のどん底にあった。1992年のインフレ率は1110%に達し、さらに翌年には2400%近くにも跳ね上がった。ちまたはすぐ代わるだろうとうわさしたが、財務相にフェルナンド・エンリケ・カルドーゾを充てて「プラーノ・レアル」(レアル計画)を実施。経済は安定化し、インフレも収束した。 就任直前、フランコは上院議員らに自らの私有財産の目録を手渡した。一風変わったアピールだったが[要出典]、就任するとただちにバランス重視の内閣を組み、議会に広範なサポートを求めた。支持率は出だしから60%を上回った。 1993年4月には懸案の政治体制(共和制または君主制)と統治体制(大統領制または議院内閣制)に関する国民投票が行われ、前者では共和制が、後者では大統領制がそれぞれ圧倒的多数で選ばれた。同年には軍と民兵の将校らから議会閉鎖の圧力がかかったが、動じなかった。この事件を「クーデター未遂」ととらえるメディアもあった。 彼の政権はコロール大統領のもとで揺らいだ政治の誠実さと安定性を回復した点で評価され、自身もその維持に努めた。「威風堂々とした大統領としての職責」を全うするという流儀も、コロールのそれとは趣を異にした。一方で、神経質な変人だとも言われた。 1993年末には自らの辞任を議会に発議し、早期の選挙実施を求めたが却下された。任期終盤にさしかかると支持率は軒並み8割台をたたき出し、ブラジル史上最高を記録した。
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