内政における改革
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/01/10 18:11 UTC 版)
「カマルッディーン・ハーン」の記事における「内政における改革」の解説
ニザーム王国はデカンにおいてはマラーター勢力に対して不利な立場であったが、ハイダラーバードに中心にデカン高原南部に広大な領域を拡大し、一定の勢力を保持することができた。カマルッディーン・ハーンは自らムガル帝国から正式に独立を宣することはなかったが、デカンおいては事実上独立した立場をとり、独自の行政を敷いている。 とはいえ、ムガル帝国のように家臣に官職や封土としてジャーギールを与え、ジャーギールダーリー制を導入し、アクバルのようにヒンドゥー教徒には寛容な政策をとった。彼の最初の宰相がプーラン・チャンドというヒンドゥー教徒だったことも注目すべき点である。 また、ムガル帝国のジャーギールダーリー制を王国に導入したことで、反抗的な有力ザミーンダールにはその権威に服すように強要した。その一方でマラーター勢力を領土から締め出し、デカンに秩序ある行政を敷いた。また、王国の徴税機構からは汚職による腐敗を排除しようとしたことも知られている。 カマルッディーン・ハーンはまさに、1948年にインドに併合されるまで続くニザーム王国の基礎を盤石にした人物であった。 彼はムガル帝国分裂期の18世紀のインドにおいて、最も偉大な人物の一人でもあった。
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