共産主義とアルジャー・ヒス事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/30 21:16 UTC 版)
「カルヴァン・フィックス」の記事における「共産主義とアルジャー・ヒス事件」の解説
1930年代に勃興した人民戦線(Popular Front)の時期、フィックスは、アメリカ共産党(Communist Party USA)を支持し、マルクス主義を信奉していた。1939年8月23日、アドルフ・ヒトラー(Adolf Hitler)とヨシフ・スターリン(Иосиф Сталин)の間で協定が結ばれた(独ソ不可侵条約)。この年、フィックスはキャンウェル、チェインバースとともに反共主義に転向した。 1939年、彼ら3人は、共産主義者に舵を取られていた新聞組合のタイム支部に乗り込み、スペイン内戦(The Spanish Civil War)で共和派を支援する動議を提出するも、独ソ不可侵条約が結ばれたのち、共産主義者たちは民族主義者たちを支持しており、結果は42対3で、フィックスたちの申し立ては却下された。 アレン・ヴァインシュタイン(Allen Weinstein)によると、1942年5月にFBIがチェインバースの元を訪れ、本人の共産活動について尋問している。 1948年8月3日、チェインバースは、下院非米活動委員会(House Committee on Un-American Activities)に召喚され、そこでアルジャー・ヒス(Alger Hiss)がアメリカ共産党員であり、ソ連の諜報員である趣旨を証言した。ヒスはこれを否定し、チェインバースを名誉棄損で訴えた。のちに、ヒスは実際にソ連のスパイとして諜報活動に従事していたことが発覚し、有罪判決を受けた。 1948年から1950年にかけて、チェインバースはタイム誌に顔を出せないと感じ、フィックスの家で時を過ごしていた。 アルジャー・ヒスの支持者たちは、1942年のフィックスの心臓発作および1950年の彼の死を利用する形で、1942年にフィックスの上司であったウィテカー・チェインバースを批判した。ヒスの熱烈な支持者であったマイヤー・ゼリグス(Meyer Zeligs)はチェインバースが「(フィックスを)この死んでもおかしくない仕事日程に如何にして引き込んだか」を詳細に述べた。 ディヴィッド・コート(David Cort)は、自身の説明を以下のように書き改めた。 タイム誌の錬金術師、ウィテカー・チェインバースの扇動のせいで、おぞましい事件が発生した。毎晩ブラックコーヒーを飲みながら無関係の部門で働くという、まったく必要の無い仕事のせいで、協力的な同僚の1人、カルヴァン・フィックスが心臓発作を起こしてしまったのだ 以降の作家たちもこの告発を繰り返し、その際にはコートの言葉を一語一句そのまま引用した。
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