入浜式塩田
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 08:20 UTC 版)
江戸時代前期頃、海水を塩田に取り込む方法として、潮の干満を利用する方法が開発された(装置やプロセスは揚浜式と共通している)。これにより海水を塩砂に散布する作業が省略され、大幅な労力の軽減が実現した。 塩砂の地盤は従来の海岸砂地を平坦にしただけのものもあったが、砂の層を底から目の粗い順に3層前後敷いた人工地盤も用いられるようになった。 瀬戸内海沿岸ではいち早くこの方式を導入し、律令国のうち瀬戸内地方に当たる播磨・備前・備中・備後・安芸・周防・長門・阿波・讃岐・伊予、計10国の塩田は「十州塩田」と総称された。これらの地域で生産された「十州塩」は品質が高いと評価され、上方や江戸を含めた全国各地の市場を席巻した。 この方式の導入は干満の潮位差が大きな地域に限られ、土地が海面よりもやや高く、潮汐を利用して海水を塩田に引き入れるのが困難な土地では、従来の揚浜式塩田が残った。 入浜式塩田が導入された時期には、1塩戸の大きさは平均2町歩(約2ヘクタール)前後に拡大した。 塩田は15~16メートル×約200メートルの矩形の周囲を浜みぞでかこったものである。それぞれ15メートル四方に沼井(ぬい・一種のろ過装置)が設けられる。 遠浅の干潟を干拓し、その砂地を平坦にする。満潮の時に海水を塩田の潮まわしと溝渠に入れ、砂の間隙に浸潤させる。日光と風力で水分を蒸発させ、その一方で、作業員が鍬で砂を反転させ、十分に着塩させ、2、3日間天日にさらす。着塩した散砂を沼井(ぬい)に入れ、海水を注いで濾過させることで海水の5~6倍の濃度の鹹水を得る。
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