倭国への仏教公伝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/06 09:51 UTC 版)
詳細は「仏教公伝」を参照 倭国に仏教を伝えたのもこの聖王の時代のことと考えられている。その記事は、使者を送り、金銅の仏像一体、幡、経典などを伝えたとし、戊午年((『日本書紀』によれば欽明天皇年に干支年が存在しないため538年宣化天皇3年とされる。)とする『上宮聖徳法王帝説』の「志癸島天皇御世 戊午年十月十二日 百齋國主明王 始奉度佛像経教并僧等 勅授蘇我稲目宿禰大臣令興隆也」及び『元興寺伽藍縁起并流記資財帳』の「大倭國佛法 創自斯歸嶋宮治天下天國案春岐廣庭天皇御世 蘇我大臣稻目宿禰仕奉時 治天下七年歳次戊午十二月度來 百濟國聖明王時 太子像并灌佛之器一具 及説佛起書卷一筐度」、『日本書紀』第19巻、欽明天皇13年(552年、壬申年とされる)10月の記事「十三年」「冬十月 百濟聖明王 更名 聖王 遣西部姬氏達率怒唎斯致契等 獻釋迦佛金銅像一軀 幡蓋若干 經論若干卷 別表」と次のような上表文を送ってきたと記述される。 仏教は、あらゆる教えの中で最もすぐれたものです。その教えは難しく、とりつきにくいものですが、真の悟りを導くものです。今や仏教は、遠くインドから中国、朝鮮まで広まっています。このすばらしいみ仏の教えを、ぜひ日本でも広めていただきたいと思います。 (是法於諸法中 最為殊勝 難解難入 周公 孔子 尚不能知 此法能生無量無邊福德果報 乃至成辨無上菩提 譬如人懷隨意寶 逐所須用 盡依情 此妙法寶亦復然 祈願依情 無所乏 且夫遠王臣明謹遣陪臣 怒唎斯致契 奉傳帝國 流通畿內 果佛所記 我法東流) この上表文に関しては後世の文の可能性が高いとされる(703年(長安2年)に唐の義浄によって漢訳された『金光明最勝王経』の文言が見られ、井上薫説によれば、718年(養老2年)に帰国した遣唐使僧道慈により記述されたとした)。
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