信夫の死去と2通の遺言書、信太郎の経営権取得
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/11 19:33 UTC 版)
「一澤帆布工業」の記事における「信夫の死去と2通の遺言書、信太郎の経営権取得」の解説
2001年(平成13年)3月15日に、前会長の一澤信夫(3代目)が死去。会社の顧問弁護士に預けていた信夫の遺言書が開封された。この遺言書(いわゆる「第1の遺言書」)は、1997年(平成9年)12月12日付で作成されたもので、内容は信夫が保有していた会社の株式(発行済み株式10万株のうち約6万2000株)のうち、67%を社長(当時)の三男・信三郎の夫妻に、33%を四男・喜久夫に、銀行預金のほとんどなどを長男・信太郎に相続させるというものだった(次男はこの時点で故人である)。ところが、この遺言書の開封から4ヶ月後の2001年(平成13年)7月に、長男の信太郎(元東海銀行行員)が、自分も生前に預かったと別の遺言書(いわゆる「第2の遺言書」)を持参した。この遺言書は、2000年(平成12年)3月9日付で作成されたもので、内容は信夫保有の会社の株式80%を長男の信太郎に、残り20%を四男・喜久夫(家業に関わっていたが2001年(平成13年)退任)に相続させるというものだった。この通りに相続すれば、信太郎・喜久夫両名で会社の株式の約62%を保有することになる。複数ある遺言書の内容が抵触している場合、その抵触している部分については、もっとも新しい遺言書の内容が有効となる(民法1023条)ため、通常であれば2000年(平成12年)3月の遺言書が有効となるが、2通の遺言書の内容が全く異なることから、「第2の遺言書」の無効確認を求め提訴した。 信三郎は、「第2の遺言書」の作成時点で信夫は既に脳梗塞のために要介護状態で書くのが困難だったこと、「第1の遺言書」が巻紙に毛筆で書いて実印を捺印しているのに対して、「第2の遺言書」が便箋にボールペンで書かれていること(ただし、法律上は用紙・筆記具は何でもよい)、捺印している印鑑が「一澤」ではなく信太郎の登記上の名字「一沢」になっていることから、当時社長だった三男・信三郎は信太郎が保有する「第2の遺言書」は無効だと主張した。信夫の弟で、当時専務だった元社長・恒三郎も同様の疑問を投げかけている。しかし、裁判で信三郎の主張は「無効と言える十分な証拠がない」として認められず、2004年(平成16年)12月に最高裁判所で信三郎の敗訴が確定した。これを受けて、長男・信太郎と四男・喜久夫は、信太郎側の「第2の遺言書」の内容に従い、一澤帆布工業の株式約62%を取得。筆頭株主となった信太郎は、2005年(平成17年)12月16日に臨時株主総会を招集し、一澤信三郎社長(当時)と取締役全員を解任し、代わって信太郎が取締役社長となった。また、喜久夫と信太郎の娘も取締役へ就任した。
※この「信夫の死去と2通の遺言書、信太郎の経営権取得」の解説は、「一澤帆布工業」の解説の一部です。
「信夫の死去と2通の遺言書、信太郎の経営権取得」を含む「一澤帆布工業」の記事については、「一澤帆布工業」の概要を参照ください。
Weblioに収録されているすべての辞書から信夫の死去と2通の遺言書、信太郎の経営権取得を検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。

- 信夫の死去と2通の遺言書、信太郎の経営権取得のページへのリンク