供養のためのもの
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 09:32 UTC 版)
多くの場合五輪塔が置かれる。五輪塔には墓塔としてのものもあるが、多くは追善供養のために法事の度に追加されたものと思われている。あるやぐらでは多数置かれた五輪塔が銘を見るとみな同じ人を供養するためのものであったりする。つまり法事の度に置かれる五輪塔でやぐらが埋まることがある(画像17)。宝篋印塔や板碑が置かれる場合もある。 大型のやぐらには壁面に仏像(画像21)、五輪塔(画像7、画像10)、板碑(画像4)、位牌(画像8)、の彫刻を施したものもあり、月輪の中に仏や菩薩を表す一文字の梵字(種子:しゅじ)が彫られていたりする。または仏像がやぐらの本尊として置かれているものもある。それらはその場で彫られたものもあれば(画像5、画像21)、他で作られて置かれたものもある(画像24)。また置かれた五輪塔や宝篋印塔の下に穴があり、納骨用の大甕が埋めてある例がある。朱垂木やぐらでは立像の仏像が置かれていたのか本尊の背後を舟形光背が彫刻してある。この舟形光背には白い漆喰の上に日月と雲が描かれていたらしく、漆が黒い線となって残っている。元はこの漆の線の上に金箔の截金(さいきん:切金とも)が施され、金色に輝いていたものと思われている。 なお五輪塔も現在目にするものは鎌倉石のものは風化が激しく、安山岩のものでも地が剥きだしになり稀に梵字が刻まれている程度で、多くは無地である。しかし埋蔵されたまま発見されたやぐらでは五輪塔に年紀と法名が墨書されていたり、漆喰の上から浅く彫って金を入れたりしたものもあり、金が剥がれ落ちれば文字が読めなくなってしまうものも発見されている。それらのことから元の姿の多くは漆喰で白塗りされ年紀と法名が記されていたであろうと思われている。実際、多宝寺跡やぐら群では鎌倉石(凝灰質砂岩)の五輪塔の火輪に厚さ1mmにもおよぶ漆喰が残っていたし、極楽寺の脇から出土したものには梵字が墨書されていたものもある。急傾斜地崩壊対策工事で見つかった「松葉ヶ谷奥やぐら群」は鎌倉時代末から南北朝時代と推定されるが、2号やぐらでは五輪塔に金泥による梵字が確認され、またその地輪内部に火葬骨が納骨されていた。3号やぐらも五輪塔には金泥で文字を装飾したものが多かった。
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