併設校の設立と発展(1917-1947)
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1917年(大正6年)、古川尋常高等小学校に併設して古川農業裁縫補習学校が開校した。同校は男子部と女子部があり、男子部が農閑期の9月から3月に授業を行い修身・国語・算術・農業・商業を教えたのに対し、女子部は通年で授業を行い修身・国語・算術・裁縫を教えた。近隣の小学校にも実業補習学校は併設されていたが、古川農業裁縫補習学校の特色として、男子部に農業だけでなく商業の授業もあったことと、女子部が通年であったことが指摘できる。古川農業裁縫補習学校は1923年(大正12年)に古川農商補習学校に改称し、1926年(大正15年)の青年訓練所令を受けて補習学校に青年訓練所の役割も担わせるように学則を改正した。 1921年(大正10年)9月、吉城郡立実業補習学校が古川農業裁縫補習学校とは別に古川尋常高等小学校に併設されるも、1923年(大正12年)の郡制廃止に伴い吉城郡農会に運営者が交代した。しかし維持費の分担率を巡り郡内町村の対立が激化し、一旦は廃止が決まるも紆余曲折を経て古川町が吉城郡農会立実業補習学校を継承し、古川農商補習学校と統合することになった。こうして1928年(昭和3年)に両校を統合した吉城高等国民学校が開校し、同時に旧古川農商補習学校の青年訓練所機能が分離して独立した古川町青年訓練所となった。 吉城高等国民学校は単なる実業補習学校ではなく、旧制中等教育学校相当の機能を持たせるという意気込みの下で開校し、制服も中等学校を意識したデザインであった。本科と実科から成り、本科は男女共学の2年制(通年)で中等学校並みの授業時数を割いて地域の中核的人材の育成を掲げ、実科は男子部と女子部に分かれ、男子部は農閑期に農業中心の授業を行い、女子部は出稼ぎ者が帰省中の1・2月に裁縫中心の授業を行った。1935年(昭和10年)に青年学校令の公布があったことから、同年7月1日に吉城高等国民学校と古川町青年訓練所を統合して公立青年学校吉城高等国民学校が開校した。同校は普通科・本科・研究科から成り、本科・研究科は1部(吉城高等国民学校から継承)、2部(古川町青年訓練所から継承)に分かれていた。1940年(昭和15年)4月、公立青年学校吉城実業学校に改称し、青年学校の男子義務化に伴い、男子本科生は義務となった。
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