作戦計画の立案と前倒し (1981年12月-1982年3月)
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「フォークランド紛争」の記事における「作戦計画の立案と前倒し (1981年12月-1982年3月)」の解説
上記の通りフォークランド諸島侵攻作戦の具体的な計画作成は、1981年12月15日に海軍総司令官アナヤ大将から海軍作戦部長ロンバルド中将への下令を端緒とする。この際、アナヤ大将の指示は「マルビナス諸島を奪回せよ。しかしそれらを確保する必要はない」というものであり、イギリスの反撃は予期されていなかった。1982年1月中旬より陸軍・空軍も加えて統合作戦計画作成が着手された。 この時点では作成完了時期は9月15日とされており、その前に何らかの動きを取ることは考慮されなかった。これは真冬の過酷な天候が終わる時期であり、年初に招集されたアルゼンチン陸軍の徴集兵の訓練も進展しており、海軍航空隊にはシュペルエタンダール攻撃機とエグゾセ空対艦ミサイルの配備が進み、またフォークランド周辺にイギリス海軍が有する唯一の軍艦である氷海警備艦「エンデュアランス」も解役されているはずであった。上陸部隊としては海兵隊第2歩兵大隊が選定され、2月から3月にかけて、フォークランドに地形が似ているバルデス半島で数回の上陸演習を行った。基本的な上陸計画は3月9日に軍事政権の承認を受けて、9月までかけて作戦計画は準備されるはずだった。 しかし3月下旬廃材回収業者のサウスジョージア島上陸を巡り、情勢は急激に緊迫し始めていた。3月23日にアルゼンチン政府はイギリスによる業者の退去を阻止するためサウスジョージア島に兵力を送るとともに、この危機を口実にフォークランド諸島を占領することを決心し、侵攻計画の立案グループに対して、計画をどの程度前倒ししうるかを諮問した。3月25日、ロンバルド中将は、同月28日に出港してフォークランド上陸は4月1日であると回答した。軍事政権はこの回答を承認し、ただちにフォークランド上陸作戦とサウス・ジョージアへのさらなる兵力増強の準備に取りかかるよう命令した。
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