作中の龍馬像とは? わかりやすく解説

作中の龍馬像

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/19 11:06 UTC 版)

汗血千里駒」の記事における「作中の龍馬像」の解説

本作は「無名だった龍馬再発見し現代に至る龍馬像の原型形作ったとされる。しかし、のちの龍馬伝記見られる「殺すために訪問した勝海舟弟子になった」「薩長盟約交渉の際に、盟約渋る西郷隆盛龍馬一括して合意実現した」「大政奉還建言書として船中八策構想した」といったエピソード見られない。これは執筆当時それらのエピソード世に出ていなかったためだとされている。薩長盟約に関しては、高杉晋作功山寺挙兵知った龍馬薩摩藩説得して薩摩拘束した長州藩捕虜送還させる話と、長州赴いて高杉説得した話が龍馬活動とされる大政奉還建白後藤象二郎立案であるとして龍馬関与は描かず、一方で慶応3年10月二条城会議龍馬出席して慶喜大政奉還進言説得するという(史実にない)記載なされている。 また、寺田屋遭難事件後に龍馬が妻のお龍薩摩国旅行する話を「ホネー、ムーン」(ハネムーン)と表現したことが知られ、「龍馬日本最初新婚旅行おこなった」とする説の最初とされる。 自と彼の西洋人新婚時には「ホネー、ムーン」と呼びなして花婿花嫁互ひに手に手を取り伊太利等の山水逍遥するに叶ひたりとや謂はん — 「汗血千里の駒第三十六回、『政治小説集 1』岩波書店新日本古典文学大系 明治16〉、2003年 この旅行での霧島山高千穂峰登山本作では「お龍と書生だけで上った」と記しており、山頂逆鉾を抜くのもお龍である(下山後に龍馬叱られる下りがある)。これらの背景には、紫瀾が女権拡張論者であった点が指摘されており、自由婚姻論者であった紫瀾(実際にそうした論説執筆している)が、その主張沿って自由恋愛結婚して西欧流の新婚旅行をし、迷信とらわれず振る舞うというお龍描写つながったとされる

※この「作中の龍馬像」の解説は、「汗血千里駒」の解説の一部です。
「作中の龍馬像」を含む「汗血千里駒」の記事については、「汗血千里駒」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「作中の龍馬像」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「作中の龍馬像」の関連用語

作中の龍馬像のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



作中の龍馬像のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの汗血千里駒 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS