佐々木監督時代
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「大阪近鉄バファローズ」の記事における「佐々木監督時代」の解説
1997年 開幕カードのグリーンスタジアム神戸での対オリックス2連戦がともに雨で中止となったため、4月8日の大阪ドームでの対千葉ロッテマリーンズ戦が開幕試合となり、大阪ドームでの初試合を4対2で勝利している。借金が最大14になるなど、夏場までロッテと5位を争う状況だったが、8月24日の対ロッテ戦(大阪ドーム)でパリーグ史上初(プロ野球通算3度目)の10点差逆転勝利(延長12回)を機にチームは浮上。最終的には3位でシーズンを終える。この年の観客動員は186万6千人に達し、球団の年間最多観客動員記録となった。この年限りで大石大二郎が引退。 1998年 8月半ばまで日本ハムと優勝争いを繰り広げ、日本ハムの失速もあり一時0.5ゲーム差まで詰め寄るが、直後に連敗し、西武、ダイエーを含めた4チームの混戦となる。先発投手陣が安定せず1952年以来となる2桁勝利投手が出ず、ロブ・マットソンの9勝がチーム最高の勝ち星となった。最終的には借金1の5位に終わる。 1999年 4月に地元企業との提携と地元密着を目指してチーム名を大阪近鉄バファローズに改称し、9月に従来の近鉄野球株式会社に代わる新会社「株式会社大阪近鉄バファローズ」を設立。4月は首位で折り返すが、前年以上に先発投手陣が安定せず(2年連続して2桁勝利投手が皆無だった)、途中プロ野球新記録となる5試合連続2桁失点のワースト記録を樹立するなど低迷して4年ぶりに最下位に終わる。シーズン終了後に佐々木恭介が監督を辞任、後任は近鉄最後の監督となる梨田昌孝。
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