伊勢山の丘とは? わかりやすく解説

伊勢山の丘

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 04:18 UTC 版)

伊勢山皇大神宮」の記事における「伊勢山の丘」の解説

神宮鎮座する伊勢山の丘は、もともとは野毛山呼ばれていたが、遷座の際に伊勢山改められた(現在、伊勢町という地名は残るが、伊勢山という地名自体残っていない)。 かつては麓の宮崎町花咲町は海であり、野毛町野毛浦と呼ばれる入り江であった。これらの地域埋め立て進んだのは、幕末開港以来である。神宮境内一部には伊勢山貝塚呼ばれる遺跡存在し縄文後期土器出土している。また、この丘の一帯では紅葉ヶ丘や老松町縄文期の住居跡発見されている。現在の横浜中心部は、江戸前期埋め立てられ吉田新田にあたることから、横浜中心部周辺に於いては、この丘一帯最古居住地域一つであると考えられる横浜開港直後安政6年1859年)には、この丘に神奈川奉行所設置された。開港場外国人居留地一望できたこと、また港を挟んで反対側にある山手の丘に居留民保護名目駐留するイギリス・フランス両国軍隊監視できたことが、この丘が選ばれ理由であった開港場入り口吉田橋関門東海道を結ぶ街道横浜道は、この丘に切通し野毛切通し)を作り奉行所の横を通るように開通したが、これも防衛上の理由からである。(この横浜道は現在も横浜市主要地方道80号横浜駅根岸線一部として、神宮本殿の裏通っている)その後神奈川奉行所明治政府接収され、その機能横浜税関横浜裁判所に分割されるが、この横浜裁判所が神奈川県庁前身となる。 その後前述通りに港と横浜中心部一望できることが鎮座地相応しいとして神宮創建されることになった

※この「伊勢山の丘」の解説は、「伊勢山皇大神宮」の解説の一部です。
「伊勢山の丘」を含む「伊勢山皇大神宮」の記事については、「伊勢山皇大神宮」の概要を参照ください。

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